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イベントレポート

介護・福祉業界で20代のうちから活躍する3名のリアルトークセッション。“何もない”U29世代だから、できたこと

少子高齢化、地球温暖化、貧困、ジェンダー平等……ニュースや新聞などで目にする社会課題に対し

「今の社会を変えるために、何かしたい」
「でも、一体何をしたらいいかわからない」
「現状にモヤモヤするけど、行動できていない」

と考える人もいるのではないでしょうか。目まぐるしい日々のなか、時間だけが過ぎてしまい、行動できない焦りを感じるときもありますよね。

今回、KAIGO LEADERSは「U29世代の“カイゴリーダーシップ”を考える」と題し、20代で介護・福祉業界に課題意識を持ち、アクションを起こした3名をゲストに迎えトークセッションとワークショップイベントを行いました。本レポートは、トークセッションを中心にお届けします。

起業、NPO法人の立ち上げ、書籍の出版など、今まさに社会課題に対し突き進んでいる3名ですが、実は周りからの声に悩んだり、傷ついた経験もあったそう。「20代だから」「20代だけど」と語るリアルなお話には、一歩踏み出すためのヒントが詰まっていました。

3名それぞれの現在地点

イベント冒頭、まずは現在の活動紹介が行われました。

1人目の金子 萌さんは2022年6月、「介護に驚きと希望を」をビジョンに、ご自身のお父様の介護経験から、自宅で家族を介護するケアラーをケアする会社を起業しました。現在は介護の体制構築や家族間の話し合いなどを支援するコンシェルジュ事業と、介護についての様々な知識を伝えるセミナー事業などを展開しています。

2人目は、御代田 (みよだ)太一さんです。御代田さんは大学卒業後に救護施設に勤め、生活支援員をしていました。救護施設で出会った仕事も、身寄りも、住まいもない人々の現状を発信し、2023年7月に『よるべない100人のそばに居る。: 〈救護施設ひのたに園〉とぼく』(河出書房新社刊)を出版しました。

実は、金子さんと御代田さんは大学の同級生だそう。お互いに別々の道へ進みましたが現在は同じ業界におり、今日一緒に登壇できることが嬉しいと話してくれました。

3人目は、萩原 涼平さんです。22歳のときにNPO法人ソンリッサを設立し、「ひとりで抱えずに、優しいつながりが、溢れる社会をつくる」をビジョンに群馬県を拠点として独居高齢者見守りサービス「Tayory」を主軸に多様な活動を展開しています。

トークセッションがスタート!3名に聞いた、「“始めの一歩”は、何をした?」

自己紹介が終わり、いよいよトークセッションがスタート。進行は、KAIGO LEADERSの発起人である秋本 可愛が務めました。

秋本可愛

20代のうちから課題意識を持って行動するみなさんの姿は、本当に眩しい限りです!

ですが、多くの人は課題意識を感じ「何かをしたい」と思っていても、「まずは何をしたらいいの?」と迷ってしまう場合もあると思います。そこでお伺いしたいのですが、みなさんは “ 始めの一歩 ” は何をされましたか?

私は、高校2年生のときに44歳の父が若年性パーキンソン病と認知症を発症し、自身がヤングケアラー当事者だったことが原体験にあります。

12年以上介護をするなかで、介護を支える制度やサービス・商品などはたくさんあることを知りました。2022年には当時要介護4の父を連れてハワイ旅行に行き、水陸両用の車椅子を使って父に海を楽しんでもらうこともできました。しかし介護を始めた当初は、そうしたサービスや商品を全く知りませんでした。私が大学1年のとき、父が病気を理由に退職勧奨を受けて会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれました。本来であれば、健康保険組合からの傷病手当金制度を利用できましたが、知らなかったために父の年収分の金額受給し損ねてしまったんです。

経済的な不安や将来への絶望感は、制度やサービスを「知らない」ことが大きいと思うんです。ハワイに行ったことなどをケアラーの方に話すと「そんなことも可能なんですね。希望になりました」と言っていただくことが多く、「知る」ことは希望を生むと感じています。

しかし、そうした支援を探しづらい現状もあります。そこに課題があることを感じ、一昨年、会社を辞めて起業しました。とはいえ、もともと起業をする気はそれほどなかったんですよ(笑)

秋本可愛

えっ!そうだったんですか。なにか、きっかけになることがあったのでしょうか?

いろいろありますが、父の病気が発症して10年が経ち「父の病気って本当に治らないんだ」と感じたことが大きいですね。父が病気になったとき、iPS細胞を発明した山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したニュースを見て「こんな発明があるなら、いつか治るかもしれない!」と感じ、それを支えに10年生きていました。

しかし、10年経っても父の病気は治る病気にはならなかった。

27歳になり、その事実に直面してようやく父が治らないことを受け入れられた。このことが大きかったですね。

父の病気が治らないことを改めて思い知り、最初はかなり落ち込みました。しかし、落ち込んでいても仕方ないと奮い立ち、自分のようなケアラーを救うビジネスを作りたいとビジネスコンテストに応募したことが私の一歩目です。いろんな方々に手助けしていただくうちに、起業の道が開けてきました。

……と、カッコいいことを言っていますが、これまで感じた大変な思いや父が病気になったことに何か理由がほしいという思いもあります。私も母も、自分たち自身の辛さから、本当は一番辛いはずの父に「パパのせいでこんなに大変な思いをする羽目になった」なんてひどい言葉もたくさん投げかけてしまった後悔の念が大きく、起業もその贖罪の意味も大きいです。

パパが病気になり、パパには辛い想いをさせてしまったけれど、その経験からケアラーを救うビジネスを立ち上げてこれだけ沢山の人を助けられたよ。パパの辛い経験を無駄にしないように頑張ったよ」と言いたいんだと思います。

秋本可愛

これまでの経験を生かしていくための道が、起業にも繋がったのですね。萩原さんはいかがですか?

僕は、中学生のときに見た寂しそうな祖母の姿がずっと忘れられなかったことがきっかけですね。おじいちゃんを亡くしたショックと、おじいちゃんと経営していた会社という居場所を失ってしまってから、認知機能も問題なく体の不自由もないのに、真っ暗な部屋の中でぼーっと1日を過ごすおばあちゃんをなんとかしたかった。

これからの進路を決める大学生のとき、社会福祉士をしていた従兄弟に軽い気持ちで「高齢者の孤独をなくすことをしたくて」と相談してみたんです。そしたら、すごく怒られました(笑)。

秋本可愛

怒られたんですか?

「世の中にいる高齢者はおばあちゃんだけじゃない。もっと多様な状況があって孤独・孤立問題は一筋縄じゃいかないよ!」と言われたんです。「ちゃんと現場を見ないと、誰も救えない」との言葉が刺さり、従兄弟から地域おこし協力隊のことを教えてもらいました。

大学卒業後は地域おこし協力隊として甘楽町(かんらまち)に移住して、500人以上の高齢者と関わりながら孤独の要因をヒアリング調査したことが今の活動に繋がっていますね。

秋本可愛

従兄弟さんが立役者に!そのような経緯があったんですね。御代田さんは、どのようにして本の出版に至ったのでしょうか?

そもそも僕が救護施設に勤めようと思ったのは、大学2年生のときにたまたま障害を持つ方の生き方を語るゼミに参加したことが大きいです。目が見えず、耳が聞こえない全盲ろう者の方、ALS当事者、軽度認知症を持つ方など様々な障害やマイノリティの当事者と出会い、「こんな人々が世の中にはいたんだ!」と自分の世界観が180度変わった経験をしました。

滋賀県にある「ひのたに園」で働き始めてすぐは、シフトの一員としてきちんと動くだけ精一杯だったのですが、「入居者さんのことを知りたい」という好奇心から、勤務が終わった後に入居者さんへインタビューを始めました。どこで生まれて、どんな経緯で今ここにいるのか、そういったことを録音して書き起こしまでして。

秋本可愛

施設の他の職員さんからは、何か言われませんでしたか?

もちろん珍しがられました(笑)。「勤務時間は終わっているのに、何をしているの?」と。でも、そのインタビューが結果として出版という形で救護施設の存在を社会化することにも繋がっので、やってよかったですね。

20代でアクションを起こして良かったこと、大変だったこと

秋本可愛

三者三様の転機や一歩を踏み出すきっかけがあったんですね。20代で行動することは勇気がいることだと思いますが、アクションしてよかったなと思うことはありますか?

若いうちって何もわからないしスキルもなくて、「やってやる」って気持ちしかないじゃないですか。だからこそ、たくさんの人が助けてくれたんですよね。場所を貸してくれたり、相談にのってくれたり、アドバイスをくれたり。手を差し伸べてくれる人、頼れる人が、今も僕の周りにはたくさんいます。

僕は、自分の気持ちだけを信じて動けたことがよかったですね。きっと2〜3年普通の会社で働いていたら、そういう状況が当たり前になって、変化することにハードルを感じていたかもしれません。

それでいうと私は女性なので、ライフステージが変化する前でよかったなと思っています。もし家族ができて子どももいたら、守るものが増えて起業に足踏みしてしまっていたかもしれません。

秋本可愛

一方で、辛かった出来事などはありますか?また、それらをどのように乗り越えましたか?

私は、図太い性格なのであんまりないですね(笑)。医療・介護業界はそれぞれの専門職の方が熱い想いを持って従事されており、公的な側面が強い分野なので、「資格も持っていない若輩者に何がわかるのか」や「ビジネスでは課題解決は難しい」のような厳しい声もたくさんいただきます。しかし、課題が大きいからこそ民間企業の立場から取り組めることもあるはずだ、やるしかない、と思うようにしています。

僕は、辛かった出来事がいっぱいあります。移住したときは若さゆえに「自分探しに来たの?」と言われましたし、ベテランの福祉に関わっている方からも白い目で見られたことも……。そういった周りの声や姿勢にすごく傷ついて、家に帰って一人で泣くことも多かったです。

ただ、そのときに「悔しい」と感じたから、実績を作ってやるぞ!と奮い立ちましたね。僕が見ている世界と、相手が見ている世界が違うからこその言葉だとも思うので、自分の信じる方へ、と考えていました

自分で勝手に友人のキャリアと比べて、無駄に落ち込んだことがあります。大企業に就職した友人たちの話を聞いて、「自分はこれでいいのか」と思いましたね。

そんなときは、施設内でも昔からの友人でもない、同じ業界に勤める別のコミュニティとの繋がりを持ちました。違う環境ではあるものの、共感できる部分も多くて支えになりました。

3人が描くこれからの未来。新しい社会を、世界を切り拓いていく

秋本可愛

とても名残惜しいですが、だんだんと時間も迫ってきてしまいました。最後に、みなさんのこれからの展望を教えてください。

介護に驚きと希望をもたらし、老いが怖くない社会を創る」ために、事業を拡大させていくことが今の目標です。

「介護になったら何もできっこない」という固定観念を壊し、「介護になってもこんなことができるんだ!」という驚きをもたらし、「じゃあ私はこれをやってみたい」という希望を引き出すことが私たちの最大の仕事です。

資金繰りに頭を悩ますことも多いですが、すぐには大きな利益を生まなくても取り組み続けることが重要であり、多くの人が必要としているサービスだと信じているので、老いたり介護になったりすることが怖くない!と思える社会を作るまで続けていきます。

僕はこれまで好奇心を原動力に突き進み、書籍の出版が大きな区切りになりました。これからは、改めて自分自身の社会人としての地盤を固めていきたいと思っています。介護・福祉領域は社会的な必要性が高まっている一方で、人手不足は否めません。新しいお金の出所や人の入口を多角的な視点で見れるよう、違う業界で武者修行に出る予定です。

僕は、孤独・孤立を減らすための事業がようやく少しずつ積み重なっている実感があります。なので今後は、NPO法人 ソンリッサに関わっている一人ひとりがビジョンである「ひとりで抱えずに、優しいつながりが、溢れる社会をつくる」を体現できるチームにしていきたいです。そしてゆくゆくは、社会にいる一人ひとりの意識改革をしていきたいと考えています。

トークセッション後のワークショップの様子

20代だからこそ見える世界と価値観で、もがきながらも真摯に歩んできた3名。「スキル、人脈、知見、経験……すべてが揃っていない中でのアクションには大きな意味があり、影響力があると思います」と秋本は締めくくりました。

何かをしたいと思っている方も、身近なことから、自分ができることから、一歩を歩み始めてみませんか。

ゲストプロフィール

金子 萌(かねこ もえ)さん
株式会社想ひ人 代表取締役

東京大学教養学部卒業。自身が17歳の時に44歳の若さで若年性の認知症とパーキンソン病を発症した父を11年間以上在宅介護し続ける。外資系コンサルティング会社、外資系メーカーを経て、自身の経験から「老いるのが怖くない社会を」をビジョンに掲げ、在宅で家族を介護するケアラーをケアする会社を2022年6月に起業。
現在は介護の体制構築や家族間の話し合いなどを支援するコンシェルジュ事業と、介護についての様々な知識を伝えるセミナー事業事業に取り組む。英国BBCのドキュメンタリーやTBSの特集、厚労省の啓蒙企画に出演するなど、元ヤングケアラーとしての発信活動も行う。

御代田 太一(みよだ たいち)さん
生活支援員・作家

ホームレスや刑務所出所者を受け止める最後のセーフティネットである「救護施設」にて生活支援員として従事。
今夏には『よるべない100人のそばに居る。〈救護施設ひのたに園〉とぼく』を出版。
福祉に携わる全国の若い世代で作るリトルプレス『潜福』での発信も続ける。

萩原 涼平(はぎわら りょうへい)さん
NPO法人 ソンリッサ 代表理事

群馬県を拠点として、独居高齢者見守りサービス「Tayory」を主軸に、地域サロン事業、地域&企業向け研修事業を実施。
中学生の時に、突如祖父を亡くし、 祖母は配偶者の喪失と経営者の妻としての役割をなくし元気や笑顔を無くしてしまいました。 祖母を元気づけようと試行錯誤する中で祖母のような孤独を抱える 高齢者がたくさんいるのにも関わらず、行政・ 民間支援がほぼ皆無であることを知り、社会的な構造の課題や地域のつながりの希薄化など、 深刻な日本の問題として捉え、人生をかけ解決していくことを決意し、NPO法人ソンリッサ を設立。自然な笑顔で繋がる見守りサービスTayoryを開始し、ぐんま地域づくりAWARD 大賞を受賞。

開催概要

日時:9月10 日(日) 15:00~18:00
場所:対面とオンライン参加のハイブリット開催
対面会場 株式会社Blanket

この記事を書いた人

田邉 なつほ

田邉 なつほ Tanabe Natsuho

新卒で建築業界の営業に従事し、ライターに転身。両親が介護士であることをきっかけに、介護の世界に興味が湧く。株式会社Blanketが運営する「KAIGO HR」のメディア運営に携わり、インタビューやイベントレポートの執筆を担当。

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