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インタビュー

学生による「人生会議」。おじいちゃん、おばあちゃんの「死」と、きちんと向き合ったことある?(銀木犀取材後記)

学生の視点で、「ACP(人生会議)」を語ってみる。

学生の目線で、介護の可能性を“もっと”探るand more project

「介護の様々な形を知りたい」と、サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」に伺ったわたしたち。代表の下河原さんから、人生の終末期のあり方や 「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」についてのお話を色々と伺いました。

詳しくはこちら→「健やかな死は、生まれることと同じくらい祝うべきなこと。」銀木犀・下河原忠道さんと考える、これからの”死”について。

ACP(Advance Care Planning)/「人生会議」とは、患者本人とそのご家族が、医療従事者とともにその後の医療、介護についての意思決定をしていくことを指します。

 

下河原さんからは、「近しい人の “死” の在り方は、早くから考えておいた方が良い」というアドバイスをいただきました。

「これまで考えてこなかったけれど、みんながACPに対してどう思ってるか聞いてみたい、話してみたい。」

メンバーのそんな声から、ACPについて考える会を開催してみることにしました。

大切な人の死と向き合うのは、申し訳なくて、恐い。

ひびき
ひびき
いやー、まさか下河原さんから、あんなに「死」についての話を聞くことになるとは思わなかったね。

さてぃー
さてぃー
ほんとだよね。私、最初ちょっとびっくりしちゃった。

ヤー
ヤー
下河原さん、早い段階でACPについて話すべきって言ってたじゃん?正直なところ、みんなは自分のおじいちゃん、おばあちゃんとそういう話ってしたことある?

さてぃー
さてぃー
いや、私はないよ。もちろん、話すことは大事だと思うんだけど、いざ話そうとしてもどうやって切り出そうか迷うんだよね…。
話を切り出しても、つい感情的になって話を収束させられなくなりそうなのも怖い。

アヤカ
アヤカ
そうだよね、私も話したことはないな。
大切な人の死を考えてるみたいで、申し訳なさと、怖さがあるのかもしれない。ヤーはどうなの?

ヤー
ヤー
実は俺もまだ話したことないんだよね。
実家に帰った時とか、よくおばあちゃんと会うんだけど、「まだまだ長生きしてよ」みたいな感じで、「死」じゃなくて「生」を肯定する前提で話しちゃってる。

「死」は残った人たちに、色々なことを教えてくれる。

ひびき
ひびき
そういえば、下河原さんの話のなかに、
「生と死は本来は一緒に考えるべきだ」っていう話があったの覚えてる?
あの言葉聞いた時、「たしかに」と思う反面、「難しいかも」とも思っちゃったんだよね…。
 

ひびき
ひびき
自分のおばあちゃんが亡くなることを想像してみると、「頑張れ」以外に言葉が思い浮かばなくて。
でも、「頑張れ」って思うこと自体が、生と死を反対に考えてる何よりの証拠なんだよね。

パゴ
パゴ
すごい、そこまで考えてたんだ。

パゴ
パゴ
僕の場合は、僕自身はないんだけど、おばあちゃんとお母さんの間では話したことがあるみたい。
その時おばあちゃんがお母さんに「あなたは立派に育ってくれたし、子供も産んで同じ母っていう立場になって、もう親としてあなたに教える事はない」って話をしたらしいんだよね。

たかけん
たかけん
うんうん。

パゴ
パゴ
それで、「最後にあなたに教えられることがあるとすれば、それは私が死んだ時だと思うの。”死” は残った人たちに、いろんなものを教えてくれるものよ」って話をしたみたいで、それでそのちょうど1ヶ月後に本当におばあちゃんは亡くなって、親はびっくりしてた。

さてぃー
さてぃー
めっちゃかっこいいおばあちゃんだね!私もそんな風になりたいな。

パゴ
パゴ
うん、自分のおばあちゃんながら本当にかっこいいと思う。
その時はただ「かっこいいな」と思っただけなんだけど、下河原さんの話を聞いて、昔は死と隣り合わせだったという言葉がすごい腑に落ちたんだよね。つまり、死が日常にあった昔の頃の記憶がおばあちゃんにもあるはずで。

りく
りく
おばあちゃんは「自分の死の体験を、次の世代に伝えていってほしい」って思ったのかもね。

 

後悔をしてからでは遅い。何度でも話してほしい。

ヤー
ヤー
ささっきーはどうなの?

ささっきー
ささっきー
話したことはあるよ。

ヤー
ヤー
え、あるんだ!

ささっきー
ささっきー
うん。おばあちゃんの家に居候をさせてもらって3年が経つんだけど、居候を始めた頃よりだんだんできないことが増えてってる気がして、「このままいきなり認知症とかになったらどうしよう…」って焦りが出たんだよね。

 

さてぃー
さてぃー
なるほど。
どのタイミングで切り出したの?

ささっきー
ささっきー
一緒にご飯を食べてる時にね、それとなく聞いてみた。

さてぃー
さてぃー
うまくいった?

ささっきー
ささっきー
それが急に感情的になっちゃって…。

りく
りく
感情的?

ささっきー
ささっきー
うん、「自分の死は考えたくない」って怒っちゃって。そこから後の会話はすごい気まずかったのを覚えてる。

ひびき
ひびき
なるほどね。

アヤカ
アヤカ
それ、私が一番恐れてるやつだ…。

ささっきー
ささっきー
そうだよね。
なんだかおばあちゃんに申し訳なくなっちゃって、そこからは死についての話は避けるようになった。だから今、パゴのおばあちゃんがめちゃくちゃ羨ましい。笑

パゴ
パゴ
いや、うちのおばあちゃんが特殊だっただけかもよ。笑

ささっきー
ささっきー
うちのおばあちゃんも、パゴのおばあちゃんと同じ時代を経験してるはずなんだけど、パゴのおばあちゃんみたいには全員が全員ならないってことなんだよね。
そう思うと、「死」ってつくづく個人的なものなのかもしれないね。

りく
りく
ささっきーの言ってることはすごいわかるんだけど、個人的には自分の経験からもおばあちゃんとの対話は何回もやった方がいいと思うよ。

ささっきー
ささっきー
え、何かあったの?

りく
りく
実は、うちのおばあちゃん結構前に認知症になっちゃったんだよね…。
認知症になる前にACPみたいなことを考えたことなかったから、おばあちゃんが「自分はこうしてほしい」ということを確認することはできず、認知症になった今、症状が改善しない限りおばあちゃんの終末期の意思はわからないままで…。

りく
りく
延命治療をするのかしないのか、どこで最期を迎えたいのかとか全然わからないから、結果的に自分たちもすごい困ってるんだよね…。

ささっきー
ささっきー
なるほど… 。それはそれで、すごい怖いかも。

りく
りく
その反動からかわからないけど、自分の両親とは、最期について話す機会はすごい増えたよ。

自分の、家族の「人生」を、もっともっと話していこう。

たかけん
たかけん
そもそも、ACPの考え方って、どのくらい普及してるんだろうね?

さてぃー
さてぃー
確かに気になる!ちょっと調べてみよっか。

アヤカ
アヤカ
東京都医師会が出してる資料があるね。

出展:人生の最終段階における医療について家族等や医療介護関係者との話し合いについて(公益財団法人 東京都医師会HPより)

ひびき
ひびき
4割近くの人は、終末期の医療や介護について、一応話し合ってるんだね。想像してたより多かったかも。

ヤー
ヤー
俺はそれ以上に、「一応話し合ってる」って言葉がすごい引っかかる。

ヤー
ヤー
これは俺の憶測だけど、「一応話し合ってる」って、自分が延命治療したいか、したくないか、みたいな表面的な話し合いで終わっちゃっているのではないかと思うんだよね。

ささっきー
ささっきー
それはそうだろうね。それが「一応」って言葉にあらわれてるんだと思う。

ヤーの言ってることも、もっともだと思うんだけど、いきなり自分の終末期について聞かれても困るんじゃないかな?

ヤー
ヤー
え、どうして?

アヤカ
アヤカ
だって、その人の死生観とか、生き方とかって、長い年月を経て紡ぎ出されるわけだよね。私自身、親でさえ知らないことが結構あるんだけど、それをいきなり前提条件なしで聞かれても困るな、と思うんだよね。

ひびき
ひびき
なるほどね。

さてぃー
さてぃー
確かに私、自分のおじいちゃん、おばあちゃんがどういう人生を送ってきたのかって、そもそも聞いたことがないなぁ…。

りく
りく
みんなの話を聞いてて、ACPを考えるのは家族だけじゃない方が良いかも、と思った。
もちろん、一番の理解者は家族だと思うけど、その人のことを真剣に考えすぎるあまり冷静さを失ってしまったり、感情的になってしまうこともあると思ってて。

アヤカ
アヤカ
若いうちから、医療のセカンドオピニオンみたいに、どういう最期を迎えたいのか、医療・介護の専門家に相談できる機会も増えた方がよいなと思う。
終末期になれば、医療だったら主治医、介護だったらケアマネージャーとかと話せるんだろうけど、自分の考えをきちんと伝えられるうちに、最期を考えていくことは必要なんだろうね。

パゴ
パゴ
確かに、これから一人暮らしの高齢者が増えてくれば、自分の気持ちを誰かに伝えることもできなくなってしまうものね…。

アヤカ
アヤカ
うん。そういう意味でも、家族以外の人とACPを考えることができる機会を作ることはすごい大切な気がする。

一番怖いことは、自分の意思を持てずに、家族や社会の目を気にしてしまうこと。

ささっきー
ささっきー
そういえば、下河原さんから教えてもらった、高山義浩さんの地域医療と暮らしのゆくえを最近読んでみたんだけど、そこで一番印象に残った言葉があって。

ささっきー
ささっきー
それが、
『私は胃ろう推進者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じる事がないよう配慮したいと思っています。』
って言葉。

ささっきー
ささっきー
「延命治療は家族のエゴであり、医療費の無駄である」っていう社会からの無言の圧力で、本人も家族にも延命の意志があるのに、躊躇してしまう人もいると、高山先生はおっしゃってた。
誰も望まない延命治療が悲劇なのであって、そこはきちんと切り分けて考えるべきだと。

ささっきー
ささっきー
延命治療を希望するのもしないのも、全て個人の自由。一番怖いのは、自分の意見が持てずに家族や社会の目を気にしちゃうことだと思う。

さてぃー
さてぃー
そういえば、前に厚生労働省から芸人の小籔さんを起用したポスターが起用されて話題になったことあったよね。

パゴ
パゴ
ああ、あったねえ。

(人生会議のポスター)

 

小籔さん起用の「人生会議」ポスター、批判受け発送中止

(「治療を受ける人を傷つける」「死を連想させる」という批判を受け、厚生労働省は「人生会議(ACP)」推進のポスター配布を中止しました。)

りく
りく
これまでの話でも、ACPはすごい個人的な問題だと思うし、一人一人違うストーリーがあるわけだからこそ、長い時間をかけてじっくりと考えていくべきテーマなのかもしれないね。

 

 

最後になりましたが、お忙しい中インタビューに快く応じてくださった下河原さん、大下さん、銀木犀スタッフの皆様、本当にありがとうございました!

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【バックナンバー】

8/1  下河原さんインタビュー記事① これからの 『死』 のありかたについて
8/8    下河原さんインタビュー記事② 求められるリーダー像、介護の未来
8/15   大下さん(銀木犀船橋夏見・所長)インタビュー記事 
8/22     編集後記 ~学生視点で考える「人生会議」
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この記事を書いた人

佐々木 涼悟 Ryogo Sasaki 

KAIGO LEADERS学生チーム/株式会社Blanket インターンメンバー
中央大学4年

僕自身、祖母との同居を通して、介護に興味を持ちました。何もしてないのに太りました。

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