「健やかな死は、生まれることと同じくらい祝うべきなこと。」銀木犀・下河原忠道さんと考える、これからの”死”について。
学生の目線で介護の持つ可能性を探るために、まずは自分たちが“もっと”介護に触れ、介護を学び、介護のことを知っていこう。
そんな想いでスタートしたand moreプロジェクト。
プロジェクトのスタートは、「いろいろな介護の仕事の現場を見に行き、いろいろな人のお話を伺おう」ということになりました。
「まずは銀木犀に行ってみたら?」
そんなアドバイスをKAIGO LEADERSのメンバーの皆さんからも頂き、最初に訪れたのは、シルバーウッド社が運営する、「銀木犀」でした。
これまでの”アタリマエ”を見つめ直し、介護の可能性を次々に展開するサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」。今回私たちは、そんな銀木犀が運営する住宅の1つ、銀木犀<船橋夏見>へお邪魔しました。
お話を伺ったのは、銀木犀を運営される株式会社シルバーウッド代表の下河原忠道さん。
下河原さんに取材させていただくことが決まった後、楽しみの反面、私たちは一抹の不安を抱きました。
なぜなら、介護のことをあまりに知らなさすぎて、
「的を射た質問ができないのでは…?」
「話についていけないのでは…?」
と思ったからです。
いざインタビュー当日。おそらく、緊張で顔がこわばっていた私たちへ、下河原さんからの問いかけは意外なものでした。
自分のおじいちゃん・おばあちゃんがどういう最期を迎えたいのか、聞いてみたことってある?
日々のくらしで、死を考えるということ。
ごめん、いきなりこっちから質問で申し訳ないんだけど、自分のおじいちゃん、おばあちゃんがどういう最期を迎えたいのか聞いてみたことってある?
実は僕、今76歳の祖母の家で居候させてもらっていて。話したいと思ったタイミングはあったんですけど、怒られてしまって。
「死のことは考えたくない」、って言われたんです。
おばあちゃんのことを悪く言うつもりはないんだけど、なんで元気なうちから死ぬときのことを考えちゃいけないんだろうね。
高齢者自身が、終末期(終活)についての意思表示を家族や第三者ときちっと行って、記録に残すことをやってこなかった結果がこの状況だと思っています。
家族であってもそんなにすぐに分かり会えるほど簡単なことではないからね。
たまに会いに行くのですが、前できていたことができなくなることにイライラしてるみたいで…。
ただでさえそんな状況なのに、自分の最期について話すことは追い打ちをかけてしまうようで、なんだか気をつかっちゃうんですよね…。
でも、生活の中で「自分の最期はどんなふうに…」って話がぽろっと出る。その本音が、その人の希望とか生き方を一番反映している。
だからこそ、座って「じゃあどうぞ」っていうのはちょっと違って、一緒にご飯を食べている時とか、日々の生活の中でそんな機会が生まれるタイミングがあると思うんだよね。
ここぞって時にそれを逃さないっていうのが大事なんだよ。つまり、日々の会話の一つ一つ、その積み重ねこそが理想的なACP(Advanced Care Planning)なんだね。
患者と家族と、医療、介護従事者が話し合いをして、患者の価値観、人生観を明確にしていくことを”ACP(Advanced Care Planning)”というそうです。「死期が近付いて患者との意思疎通が難しくなっていく前、まだ意思がはっきりしているうちに話し合いを始めることがとても大切」と下河原さんが教えてくださいました。
私たちが生きる社会は今、”死”からどんどん遠ざかっている。
これが問題だと思っていて、戦後、1950年代は、病院で亡くなる人より自宅で亡くなる人が多くて、そういう意味でも死は身近にあったんだ。
死ぬことについて考える機会が多いほど、どう生きようかってなるし、死について考えることは人間が生きていく上では重要なことだと思う。
人が亡くなるという状況は、日常にある。
銀木犀での「死」と、それぞれの「死」と
でも、介護職達は1人目に看取りを経験して2人目、3人目ってことになってくると、”死”っていうものが生活の中にあるものになってきて、免疫というかプロ意識が少しずつ育っていく。
お別れ会なんかで、花を手向ける時の入居者の顔とか見ていると、私の時もよろしくねって感じ。少し安心した表情を見せる人もいる。
「あらいいお顔ね〜」「ご家族と一緒に居たんだって」「そう。それは良かったね〜」
という感じで見送ってる。
そうすると自分の死のイメージをすることができるよね。それこそ昔の風景だと思うよ。
亡くなってから火葬されるまで、なんというか、死を避けてるみたいな感覚があったのを覚えてて。
やっぱりその人が生活し続けていた、その人の香りがまだする場所で出会うってことがすごく大事だと思う。
祖母が綿を詰められているのを見た時に、死というものを実感したというか、こういうものなんだっていうのをすごい身近に感じました。
死っていうものを考える時間は大切なことなんだよね。だって、「死」って、100%誰にでも訪れることじゃないですか。死を意識すると、生を対比する存在として考えることになる。
若者が本当に悲しい事件、身を投げてしまう。それも死というものへの恐れとか恐怖とかそういうものが少し欠落してしまっているが故に、ああいうことが起きてしまうのではないかっていう指摘もあるよね。
”死”をポジティブに捉える
人は生まれるのと同じくらい当然のこととして死があるわけでしょ。個人的には、看取りとは、なるべく医療的なところから離れて、自然な老衰死に導くことだと思ってる。
医療が発達して救える命が格段に増えて、寿命も長くなった。でもその裏で僕たちはどんどん死から離れ、死に時が誰もわからなくなっている。なんだか強烈な皮肉だよね。
僕は、寿命を全うした高齢者たちの死は、生まれることと同じくらいセレブレート(祝い)なことだと思っているよ。
「死」から始まった下河原さんとの会話。普段の生活で死とは関わりが少ないため、最初に質問にはとても驚きましたが、普段考えないからこそ、会話全てが新鮮でした。
次回予告
来週は、下河原さんに、求められるリーダー像、そして介護の未来をお届けします!
お楽しみに!
————————————–
8/1 下河原さんインタビュー記事① これからの 『死』 のありかたについて
8/8 下河原さんインタビュー記事② 求められるリーダー像、介護の未来
8/15 大下さん(銀木犀船橋夏見・所長)インタビュー記事
8/22 編集後記 ~学生視点で考える「人生会議」
————————————–
この記事を書いた人
KAIGO LEADERS学生チーム/株式会社Blanket インターンメンバー
中央大学4年
僕自身、祖母との同居を通して、介護に興味を持ちました。好きなものはイクラです。