モヤモヤは、現場を変える種になる。竹端寛先生が語る、介護・福祉の発信力
介護・福祉の現場には、日々小さなモヤモヤが積もっていくことがあります。「介護の仕事は大変そう」というイメージ、時間が足りず追われてしまう毎日——。けれど、そのモヤモヤは本当にネガティブなものなのでしょうか。
2025年10月に開講されたコミュニティ型オンラインスクール「KAIGO LEADERS SCHOOL」は、自分の言葉で魅力を届ける力を磨くことを目的として、4か月間学びを深めてきました。その集大成として、2026年2月22日(日)に「KAIGO LEADERS SCHOOL AWARD 2025〜ケアの魅力、ここから広がる〜」が開催され、2つのトークイベントが行われました。
前半:芸⼈・漫画家の矢部さんとのトークはこちら
「批判」と「否定・非難」は違う。モヤモヤを社会に届けるために必要な視点

矢部さんに続いてのゲストトークは、兵庫県立大学 環境人間学部で教授を務められている竹端 寛先生です。トークテーマは、「介護職の『モヤモヤ』を、現場を変える発信力に」。介護・福祉の魅力を発信する前に、そもそも現場のなかでは日々違和感や葛藤が生まれています。今日はトークイベントにあわせて、KAIGO LEADERS SCHOOLの受講生から事前に「モヤモヤ」をもらっているので、先生に紹介させてください。

よろしくお願いします。……の前に、先ほどの矢部太郎さんのトークイベントの感想を言ってもいいですか?


ぜひ、お願いします。

めちゃくちゃ面白かったです。何が面白かったのかというと、自分が表現したいことと、対象者である大家さんとの関係性、その両方を大事にしながら描いているところ。あのバランスが、とても印象的でした。
そのときに矢部さんが大切にされていたのが、手塚治虫さんの著書『マンガの描き方』(光文社)に書かれている「基本的人権を守る」という姿勢です。これは本当に大事な視点だと思っていて。僕がよく話しているのが、「批判」と「非難・否定」は違う、ということです。

「批判」と「非難・否定」。

たとえば、「秋本さん最低!」「何やってんねん」と言うのは人格否定ですよね。

それは、言われたら悲しいです……。

でも、「今はこうだけど、もっとこうしたら良くなるんじゃない?」と別の可能性を提示するのであれば、それは「批判」なんです。秋本さんの尊厳を守りながら、より良い方向を考える。「非難・否定」はあかんけど、時として「批判」は必要なものだと僕は考えています。
「批判」にあたって僕が一つの基準にしているのは、本人を目の前にしたとしても言えるかどうか。それが、矢部さんの大家さんとの関係性のなかにもあったなと感じました。

相手との関係性の土台に愛やリスペクトがあれば、一見マイナスに見える表現でも、非難や否定だとは受け取らないのかもしれないですね。

そこが大事ですよね。そして表現は、柔らかいものだけではありません。もちろん他者を傷つけてはならないけど、「怒り」も表現の一つ。介護・福祉の現場も、「愛」や「温かさ」だけで成り立っているわけではないはずで、「みんなで協力して」と言えない場面だってある。


確かにそうですね。

怒りは、怒りとして表現していいと僕は思っています。ただ、矢部さんも仰っていたように、怒りを表現するときは俯瞰することが必要です。自分はなぜ怒っているのか、何に対して怒っているのか。それを整理したうえで、それでも社会に届ける価値があると思うなら、伝える意味があるはずです。
あなたも、わたしも大切にする。尊厳の保持とはなにか

ちなみに、「基本的人権を守る」と一言で言えても実際は難しいなと感じていて。「基本的人権を守る」とはどういうことなのでしょうか。

僕が思うに、「そのままのあなたのことを、私は大切に思っている」と伝えられるかどうか、なんじゃないかな。わかりやすい例でいうと、認知症のある方がいわゆる“問題行動したとき、それを理由に精神科に入院させて手足を拘束したら、それは尊厳の保持とは言えないですよね。
そもそも問題行動というのは、その人の魂のSOSが、いまはその形でしか表現できない状態に置かれているから起きているのではないか、と僕は考えています。「問題行動をしていたとしても、あなたは大切な人」だという気持ち、「どんな状態であっても、目の前のあなたを大事にする」ことが、尊厳の保持なのだと思いますね。

うんうん。


もしかしたら、介護・福祉の現場で働いている方にとっては、当たり前の感覚かもしれません。でも、ここで忘れてはいけないのは、あなたの尊厳だけでなく、わたしの尊厳も大切にするということなんです。

どういうことでしょうか?

これまで多くの支援者と出会ってきましたが、相手の尊厳を守ることに一生懸命になるあまり、スーパーマンのようになってしまう方が少なくないんです。自分の余暇や、自分自身の時間を顧みず、すべてを相手に捧げてしまう。つまり、自己犠牲のうえに支援が成り立っているケースがある。その背景には、「誰かの役に立ちたい」「スーパーマンでありたい」という思いがあるのかもしれません。
でも、その思いが叶わなかったとき、人は燃え尽きてしまうことがあります。場合によっては、追い詰められた末に不適切な関わりへと発展してしまうこともある。だからこそ、対象者の尊厳を保持するのと同時に、わたしの尊厳も守る。そのバランスが、関係性の土台になるのではないかと感じています。
「えらいね」と言われる違和感。その落差こそ、発信の種になる

ではさっそく、受講生から届いたモヤモヤをご紹介します。
「介護の仕事をしている」と伝えると、よく「えらいね」と言われます。大変だけど楽しいし、自分のやりたいことだと説明することが面倒くさくなります。
なぜ「介護の仕事=大変」だと紐づいてしまったのでしょうか。どうやったらその紐を解くことができるのでしょうか。


これ、魅力発信のいい種になりますよ。なぜなら「えらいね」と言う人は、その仕事を他人事として見ているから。自分にはできない、自分はやらないと思っているから、「えらい」という言葉になる。でも、あなたは「大変だけど楽しい」「自分が選んだ仕事だ」と感じていて、そこには大きな落差がありますよね。この落差を、相手にも伝わる言語で埋めようとすることこそが、介護の魅力の発信のヒントになる。「えらいね」って言う人は、あなたが見ている世界の面白さを知らないわけです。

なるほど。「大変だと思われている」こと自体が、実はチャンスかもしれないですね。

そうなんです。たとえば、一般的にはきつい仕事だと思われがちな排泄介助も、ものすごく学びがいのある領域なんですよ。排泄の状態から、その方の食事のとり方や体調の変化、健康状態まで見えてくる、とても科学的で専門性の高い分野なんです。

受講生のなかにも、「排泄介助が面白い」と話していた方がいました。世間のイメージと、実際に関わっている人の感覚がまったく違うんですよね。


そうそう。だから、排泄介助を“推し”にしちゃえばいい。「私は排泄介助が好きです」「ここが面白いんです」って、堂々と語っていい。自分の推しポイントを言語化していくことが、介護の魅力発信になるんですよ。
「時間がない」をどう伝える?

では、次のモヤモヤです。
人が足りなさすぎる。やりたいケアも、発信したいこともたくさんあるのに時間がありません。

これも、現場で働く介護職・福祉職が抱えがちな葛藤ですよね。

時間がないという問題は、個人のスキルや余裕のなさだけで語れる話ではありませんよね。そこには組織的な課題や、社会構造上の問題も絡んでいる可能性があります。たとえば、業務の分担の仕方で解決できることもあるかもしれないし、給与や報酬の問題があって新しい人材が流入しないという構造的な課題が背景にあるかもしれない。そうしたことを、「怒り」として表現してもいいと僕は思っています。

「怒りを表現する」というのは、どういうことでしょうか。

先ほどの話にも通じますが、ポイントは、「非難・否定」ではなく「批判」にできるかどうかです。「時間がない!」で終わるのは非難。でも、「本当はこんなケアがしたい。でも今は、こういう理由でここまでしかできない。時間があれば、こういうこともできるようになる」と、構造や背景まで含めて言語化することができたら、それは批判になります。つまり、「時間がない」という感情を、どれだけ階層を上げて語れるか。
そして、その言葉を誰に届けるのかも大切です。上司なのか、施設長なのか、あるいはご家族や行政なのか。怒りを俯瞰して、相手に届く言語に翻訳する。それが必要なのだと思いますね。


言われてみると確かに、そもそも伝えていないこともあるかもしれません。

あるいは、愚痴として消化してしまっているのかもしれないですね。でも、そこで止まらずに創造的消化ができるといいですよね。怒りをエネルギーに変えて、問いに変えて、提案に変えていく。

先日、ある法人の経営層の方から「思いをもった現場職員が少ない」と聞いたことがあって。思わず「そんなことはないです」と返してしまいました。私はこれまでたくさんの現場の方と出会ってきましたが、思いを持っていない人なんて、一人もいなかったんですよね。だから、経営層と現場の間に、何か伝わっていないものがあるのだろうと感じました。

まさに、そこが変革のしがいがあるところなんですよ。経営層の方々は法人の方向性を示し、業界に働きかける能動的な立場。一方で、現場は利用者やご家族との関係性のなかで、受け身の姿勢が求められる場面も多い。でも、介護の魅力を発信しようとするとき、その受け身の特性を持った方々が、能動的に言葉を持つ必要があるんです。業界の外に向けて発信することもそうですし、同時に、上司や経営層に伝えることもまた、発信の一つ。愚痴や嘆きで終わらせるのではなく、現場からの発信で変革できることがあるように思います。
通訳として、2つの世界のあいだに立つ私たちにできること

続いて、リアルタイムで届いたモヤモヤです。
利用者さんが「帰りたい」と言ったときに、その場で誤魔化したり、なだめたりしてしまうことにモヤモヤします。

重要なのは、“今ここ”にちゃんとチューニングを合わせられるか、ですよね。「帰りたい」という利用者に対して、寂しさや不安を抱えたまま「じゃあ、どうしようか」と一緒に考える。「とりあえず一緒に散歩に行ってみましょうか」「味噌汁のいい匂いがするから、ご飯を食べてから考えませんか」といったように向き合っているうちに、もしかしたらその場所を居場所だと感じてもらえるかもしれないですよね。
ケアの現場は、日々そうした試行錯誤の連続。だからこそ、ケアにおける“今ここ”性が問われているような気がします。


今、こうしてモヤモヤを起点に話していると、ケアに向き合うことそのものが、とても重要な営みだと実感します。

社会学では「他者の合理性を理解することが大切だ」とよく言われます。たとえば、認知症のある方には、その人なりの合理性がある。記憶力の低下や認知機能の変化のなかで、その人の世界の理屈が育まれているんです。一方で現場にいると、その方の生活史やアセスメントを通して、徘徊せざるを得ない理由や、異食をせざるを得ない背景が見えてくることがある。
だから僕は、介護・福祉に携わる人は「通訳」になれると思っています。認知症のある人の世界と、「介護は大変だね」と言う人の世界、2つのあいだに立って双方の理屈をつなぐことができる存在です。もしかしたら、その一例が矢部太郎さんだったのかもしれないですよね。

通訳、いい表現ですね。通訳する人がいることで、見えなかった世界が見えてくる。

ちなみに、僕が尊敬しているスウェーデンの通訳者に「通訳で一番大切なことは何ですか」と聞いたことがあるんです。なんだと思いますか?

ええ、なんだろう。間違いなく正しく伝えること、かな。


「相手の理屈を知ること」なんだそうです。なぜその発言をしているのか。その人の当たり前や常識まで理解しているかどうか。しかも、認知症のある方の理屈だけでなく、その世界を知らない一般の人の理屈も知っていないといけない。たとえば、「認知症になったら何もわからなくなるはずだ」「すぐ忘れるはずだ」と思っている人がいると知ったうえで、「いえ、悲しいという感覚はちゃんとあるんです」と伝える。2つの世界の理屈を理解したうえで、つなぐのが通訳の役割なんです。

現場にいる方にとっては当たり前かもしれませんが、日々言葉にならない人と向き合っている介護職・福祉職だからこそできることですよね。それは難しいけど、でもやっぱり追求しがいもある。

うんうん。そのことを発信してほしいですね。日常的に言葉にならない人と出会い、その人の理解がこれで合っているのかと悩む。そのモヤモヤこそが、介護・福祉の仕事の魅力に直結していると僕は思っていて。美しい言葉でまとめなくていいし、日々生まれるモヤモヤを対象者の世界と一般の世界のあいだに立って、自信をもって通訳してほしいです。
前半:芸⼈・漫画家の矢部さんとのトークはこちら
プロフィール
竹端 寛

1975年京都生まれ。2003年大阪大学大学院 人間科学研究科修了。博士(人間科学)。兵庫県立大学環境人間学部教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。主著は『「当たり前」をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』、『権利擁護が支援を変えるーセルフアドボカシーから虐待防止まで』『家族は他人、じゃあどうする?』(共に現代書館)、『枠組み外しの旅――「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)、『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマー新書)、『能力主義をケアでほぐす』(晶文社)、 『福祉は誰のため?』(ちくまプリマー新書) など。
写真撮影
近藤 浩紀/Hiroki Kondo
HP HIROKI KONDO PHOTOGRAPHY
