超高齢時代の健康を支えるのは、“つながり”の力。 秋山美紀さんに学ぶ「健康×コミュニティ」の可能性。(PRESENT_16 秋山美紀レポート)
「コミュニティ」というものが、今大きな注目を浴びています。
SNSやインターネットを通しての人と人とのつながりが、新たな形のコミュニティを生み出し、今までにはない価値を提供し始めています。一方で、高齢化や人口減少は、古くから地域に存在しているコミュニティの形を変えていっています。
これまで以上に、「コミュニティ」「つながり」というものの意味が考えられ、価値が深まっていく時代。KAIGO LEADERSが手掛ける学びの場-16回目のPRESENTでは、その「コミュニティ」に着目しました。
今回ゲストにお迎えをしたのは、慶應義塾大学環境情報学部教授の秋山美紀氏。コミュニティの存在、そしてコミュニティにおける人と人とのつながりが、住民の健康で豊かな生活にも大きく影響する。そのような点に着目をし、コミュニティと健康についての研究を進められています。
「コミュニティヘルス」ってなんだろう? “つながり”が紡ぐ、新たな「健康」のカタチ。
このタイトルで進められた本イベントは、秋山氏のこれまでの活動からの知見をお伺いし、参加者の皆さんの間でもたくさんの対話が生まれ、「コミュニティ」「つながり」の可能性を探る貴重な一夜となりました。その当日の様子をレポートします。
患者の立場になって気づいた「つながり」と「役割」の力
秋山氏がコミュニティと健康にまつわる研究・プロジェクトを始めたのは、ご自身が「患者の家族」「患者」として経験されたことがきっかけでした。
お父様が癌になり、先行きも分からない中で、治療方法を模索しなければいけない。その難しさを強く実感したそうです。
限られた診療の時間で、聞きたいことを聞き、伝えたいことを伝えるのはとても大変でした。
患者や家族も、医療の知識がないと、医療の現場でふがいない思いをするんだと感じていました。
その後、秋山氏自身も癌を発病し、「患者」として医療と向き合うこととなりました。その際には、家族と患者の立場では必要な情報や知りたいタイミングも全く異なることに気が付くこととなります。
私自身に癌が見つかる前から、「情報で患者さんを元気にしたい」と活動をしていました。
ですが、自分自身が癌になって、情報の持つ力やエビデンスの意味を実際はよく分かっていなかったんだなと気が付かされました。
病気の進行が進む中、次々と必要な意思決定をしていかなければいけない。もしかすると命を失うかもしれない…。
そんな不安や葛藤を抱えながらも、闘病中に秋山氏は多くのことに気づき、学んだと語られます。
特に改めて強く感じたのは、「健康は主観的なものだ」ということだったそうです。
治療中・闘病中でも「自分は健康だ」と思える瞬間が多くありました。
そう思えたのは人とのつながりがあったおかげでした。家族や親友という「強い絆」のある人たちにもたくさん助けてもらいましたが、なかなか家族には言えない不安や悩みを周囲の人たちに相談に乗ってもらったり、同じ病気に悩む人たちに情報や勇気をもらうことができ、「緩い絆」にも多く助けられました。
また、私は教員で、待っている学生がいてくれるということも、気持ちに張りを持たせてくれて、「教える」ということにも助けられました。
私たちは患者である前に生活者でもあります。
生活者として役割を発揮できる環境があることで少なくとも気持ちが健康になり、治療にも前向きに取り組めると教えられました。
ご自身の経験をもとに、秋山氏は「コミュニティ×健康」を研究のテーマに掲げ、コミュニティでのつながりが健康にもたらす効果を科学的に分析したり、地域のヘルスケアに関わる人たちの連携をデザインしたり、様々な機関と連携をしながら住民が参画する健康な街づくりを進められています。
“コミュニティ”って何だろう?
「コミュニティ」という言葉を聞いたことない人はいないと思いますし、皆さんも何かしらのコミュニティに普段属されていると思います。
でも、あまり「コミュニティって何だろう?」と深く考えたことはないのではないでしょうか?
秋山氏のこんな問いかけから、参加者同士でのディスカッションが始まります。
「私が属しているコミュニティはどんなものだろう?」
「人が集まったらコミュニティ?どういう集まりならコミュニティと呼べるのだろう?」
イベントに参加した皆さんが属するコミュニティも様々。対話を通して、色々な発見や気づきが生まれていました。
コミュニティと健康との関係性を考えるにあたり、そもそもコミュニティとはどういったものなのでしょうか。秋山氏のお話を通し、様々な分野の定義や視点への学びを深めていきます。
- コミュニティとは相互性と感情的な結びつきを特徴とする社会関係のネットワークである
- コミュニティは「交流」である。特定の目標に志向する訳ではない
- コミュニティには寿命がある。永続的な関係性を持つ人で構成される必要はないが、ある時点では仲間であり、助け合う人々がコミュニティである
様々な視点がありますが、コミュニティの定義に以下の3つの共通項があると、秋山氏は考えます
- メンバーに相互作用がある。
- 一定の共有する/共通のエリア(領域)がある。
- 「つながり」というものをメンバー間が共有している。
・構成しているメンバーが「われわれ(We)」と考えることができる
・何でもよいので「役割」が自分にあると感じられる
・「お互い様感情」を持って、困った時にお互いに頼れる間柄であるというのがコミュニティ意識を持てるかどうかのポイントと思います。
今日の日本では、コミュニティへの注目が高まり、「よい居場所」という意味でコミュニティの価値が問われるようになってきています。
自立した個人の意思を尊重するため、国家や政府の介入は最小限にすべきという「個人主義」と、弱い立場の個人の将来がよくなることにつながるのであれば、政府や専門家は積極的介入すべきという「パターナリズム」という2つの考え方が存在しています。
そして、そのどちらでもない第3の道として「コミュニタリアリズム」という考えが、世界的にも日本でも増えてきていると、秋山氏は説かれます。
私たちは「これは自分の個性だ」と考えているものであっても、育ってきたり、現在所属しているコミュニティの影響を受けています。そのため、コミュニタリアリズムの立場をとる人たちは、コミュニティと人とのつながりを重視します。
バラバラの個としての存在を重視する個人主義とも、強い同一性・全体性を求めるパターナリズムとも違う。
地域包括ケアという考えがしっくりくる人は、このコミュニタリアリズムの考えに共感している人が多いのではないかと思います。
「コミュニティ」には寿命がある。活気があり持続していくコミュニティとは?
「人生100年時代」となり、定年を迎えて会社を離れた後の40年間を、コミュニティでどのように過ごすか、ということが日本社会の重要なテーマとなっています。
情報技術の発達、SNSの進展で人の価値観も変わり、コミュニティのあり方・求められることも変わっていき、もはや行政の地域単位で「コミュニティ」を考えることは限界になってきています。
社会の変化の中で、勢いのあるコミュニティと、そうでないコミュニティにはどのような違いがあるのか?
再び、会場全員で意見交換を行います。
「勢いを失ったコミュニティは、当初あった目的が失われ、形骸化しているのでは?」
「メンバーの入れ替わりがあり、新しいメンバーが加わるコミュニティには元気がある」
「ニーズが変化すること社会の変化でコミュニティに求められるものが変わる。それに合わせて新陳代謝が出来るかどうかが境目では?」
様々な意見が交わされました。
会場での議論を受け、秋山氏はコミュニティの盛衰についての考えを述べられます。
コミュニティにおける重要なポイントは、「境界」です。
コミュニティには内側と外側があり、その境界があります。
内と外の境界がはっきりしていない、もしくは境界線上にいる人が一定数いるコミュニティの方が、新しいアイディアが入ってきて、活性化すると言われています。
境界線上にいる人が新しいものをよそから持っていくことで、イノベーションが生まれたり、内側にいるメンバーだけでは煮詰まってしまうような時にも、その人たちがサポートをしてくれるようなつながりがあるコミュニティは活気があり、継続しているように思います。
秋山氏が関わる地域コミュニティでも、様々な形で参画する成員の人たちの関わりが、自然に生まれ、広がり、それが健康な地域づくりのピースとなり、重なりあっていく。そのような光景が多くみられるそうです。
私たちが何かをしなくても、参加してくれている人たち自身がたくさんの力を持っていて、自分たちで地域をよくしていこう、誰かの役に立てるならやってみようと考え、動いてくれています。
そういった自発的・住民(成員)主体の活動に着目し、コミュニティの中に生まれ広がるメカニズムをみつけ、そのほかの地域でも広がるような働きかけをしていきたい。秋山氏はそう考えられています。
PRESENTおなじみのお食事・飲み物を交えながらの対話の時間。
参加者が主体的に活動し、より生き生きとしたコミュニティづくりのために何が必要か、会場内のあちこちで活発な意見交換が生まれていました。
健康を主観的に捉え、仲間と一緒につくっていく。「コミュニティヘルス」の可能性。
プログラムの最後は、質疑応答の時間。
会場から頂いた質問をまとめ、ファシリテーターの秋本から質問をさせていただきました。
秋本:今日ご参加いただいた皆さんにも、それぞれの属するコミュニティをよりよくしようと努力されている方も多くいらっしゃるようです。
コミュニティがよい形で継続していくためには、どんなことを意識すればよいのでしょうか?
秋山:コミュニティのメンバーみんなが、安心と信頼を感じられるルールをみんな考えつくっていくことが大切だと思います。
「コミュニティ内で異質なものを排除しない」と言っている人もいますが、あまりにオープンすぎても、メンバーのアイデンティティが失われたり、全然知らない人がいると、本音で話しにくかったりもして、コミュニティの活動がやりづらくなってしまう。
そこで、どういったものがよいかはコミュニティによって異なりますが、メンバーがこの場をどうしたら、安心して参画できるか、メンバーのことを信頼して関われるか、そのルールやオープン・クローズのバランスを話し合い、一緒にデザインしていく。その過程が大切だと思います。
今日はコミュニティというものの持つ可能性、時代と共にコミュニティの姿・ニーズも変容していること、主体的で参画を促すコミュニティづくりなど多岐にわたって、コミュニティの可能性を探ってきました。
研究・実践を進める中で、秋山先生が考える「コミュニティヘルス」は、結局どういったものなのでしょう?
“一人ひとりが、その場で役割を持ち、自分なりの健康を考えて行動しているうちに、自分も周囲も健康になっていくような、連続的な営み。”
私は「コミュニティヘルス」をそのように定義しています。
高齢化社会は病気とも長い付き合いをしていかないといけません。これからの社会では、「『血圧が正常だ』とか『持病がない』ということが健康である」というように健康を客観的に考える時代から、「たとえ病気や障害があっても、自分なりに幸せに過ごせるためにどうすればよいか」と、健康を主観的に考える時代へと変わっていきます。
コミュニティでの人と人とのつながり、支え合いというものが生まれることによって、「今日は昨日よりも幸せだったな」と皆が主観的に思えるような社会が理想なのではないかなと思っています。
コミュニティに属するということを通して、同じ想いや目的を持った人と人がつながり、互いに助け合ったり、影響を与え合うことで、自分なりの健康な生活・幸福観を持つことができる。そんな秋山氏のお話を伺う中で、いつも当たり前のように私たちの身近にあり、当たり前だからこそ普段はなかなか深く考える機会の少ないコミュニティの存在とその可能性を考える時間となりました。
多様な価値観やライフスタイルが広がり、社会の変化も目まぐるしいこの時代。一律的な定義が難しい時代だからこそ、自分自身で考え判断し、自分なりの選択を常に求められることとなります。自分一人で考えたり、決めたりすることは時に難しく、しんどいこともありますが、そんな時にコミュニティの仲間の存在が、前に進むための勇気や支えになるのかもしれません。
困難多き時代だからこそ、より多くの「健康」や「幸福」を生むコミュニティが生まれてほしい。
ここでの学び・つながりが、そういったコミュニティを生む息吹になってほしい。
そんなことを感じるイベントでした。
ゲストプロフィール
秋山 美紀 Miki Akiyama
慶應義塾大学 環境情報学部 教授
同 医学部 兼担教授(衛生学 公衆衛生学)
同 先端生命科学研究所 兼担教授
大学院 健康マネジメント研究科委員
同 政策・メディア研究科委員
(2016年3月~2017年3月 米国UC Berkeleyの客員研究員)
専門はヘルスコミュニケーション(健康・医療分野のコミュニケーション)。
地域住民・患者への医療情報提供のあり方、コミュニティ・ヘルスの分野で研究活動をしている。
慶應義塾大学先端生命研究所「からだ館」プロジェクトリーダー、鶴岡みらい健康調査 市民コミュニケーション等を担当している。
開催概要
日時:2018年7月13日(金)
会場:いいオフィス・上野
PRESENTについて
2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿で迎えたいか。そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。
「live in the present(今を生きる)」という私たちの意志のもと、私たちが私たちなりに日本の未来を考え、学びたいテーマをもとに素敵な講師をお招きし、一緒に考え対話し繋がるご褒美(プレゼント)のような学びの場です。
写真撮影
近藤 浩紀/Hiroki Kondo
HIROKI KONDO PHOTOGRAPHY