幸せは、人から人へ伝播する。Share金沢に学ぶ、「幸せ」が広がる住民主体の街づくり。(PRESENT_06雄谷良成 レポート)
(2024年1月8日追記)
本記事でご紹介している社会福祉法人佛子園が令和6年能登半島地震の発生を受け、物資と義援金の支援窓口が立ち上がりました。職員の皆さんも被災者でありながらも、高齢者や障害者をはじめ、地域の皆さんの健康と安全の維持にご尽力いただいています。この記事を見て少しでもご関心を持たれたみなさんからの、ご支援どうぞよろしくお願い致します。
2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿でその時を迎えたいか。
そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。2015年12月から2016年の4月にかけて、計3回にわたり、私たちは「地域包括ケア」をテーマに掲げ、地域の中で様々な実践をされているプレイヤーをゲストにお迎えしました。
株式会社あおいけあ代表・加藤忠相氏、社会福祉法人福祉楽団理事長・飯田大輔氏、そして社会福祉法人佛子園理事長・雄谷良成氏のお三方をお迎えし、変化していく地域の中で、介護がどのような役割を担うべきか、改めて考えて行く機会となりました。
今回は、2016年4月に開催された「PRESENT_06 雄谷良成 地方じゃないと無理なの?Share金沢に学ぶ都市型コミュニティの可能性」の様子をレポートいたします。
お読みいただいた方の学びの一助になれば幸いです。
“ごちゃまぜの街” Share金沢
(Share金沢公式サイトより)
石川県金沢市に、「日本版CCRC(※)の成功例」「多世代共生の街」として、注目をされる場所があります。
社会福祉法人佛子園が手掛ける「Share金沢」です。
「Share金沢」は、高齢者、大学生、障害のある人、が共に支え合って暮らすコミュニティ。街の中には温泉やレストラン、集会スペースなどがあり、地域の人たちが自然と集い、交流をしています。
高齢化が進み、地域のあり方が問い直されている中、介護・医療の領域のプレイヤーにも、地域に目を向け、よりよい地域社会をデザインしていく思考・視点が求められるようになってきています。
持続可能で、誰もが暮らしやすい社会をそれぞれの地域で作り出していくために、佛子園・理事長の雄谷氏のお話からそのヒントを探っていきます。
※CCRC Continuing Care Retirement Community
高齢者が健康な時から介護が必要になった時まで継続的にケアを受け、生活をすることのできるコミュニティ、生活共同体を指す。
幸せは、人から人へ伝播する。
今でこそ「Share金沢」は、多方面から注目をされていますが、何も仰々しいものを作ろうと思って始めたわけではありません。
私は早いうちに両親を亡くし、お寺に預けられて子ども時代を過ごしました。
その時に、障害のある人たちとも一緒に生活をしていたのですが、社会に出てから障害のある人が社会から必要にされていない感じや、地域で当たり前に暮らすことが難しい状況におかれていることを何とかできないかと考えて、行動をしてきました。
Share金沢や佛子園の取組の根っこには、この思いがあり続けています。
私の活動の原点は、青年海外協力隊で派遣されたドミニカ共和国での日々でした。
障害者支援の指導者育成が仕事でしたが、貧しい国ですから、井戸や畑・養鶏場をつくって、教える環境をつくることから始めていきました。
20歳の若者が「この国を変えてやる」と自信を持って行ったものの、最初は悪いことばかり見えていた。
でも、ドミニカ共和国の人たちは、そんな自分に温かく接してくれ、そこでの暮らしを理解していくことで、考え方が変わっていきました。
その場所に住み続けることと、そこでいろいろな人と関わって経験を分かち合うことができる場所。
その場所こそ「地域」であるということを、ドミニカ共和国で教えられました。
「幸せは人から人へ伝播する。」そんな話があります。
自分の近しい友人が幸せだと、自分の幸福度が15%上昇する。
知人の知人でも、幸福度は10%上昇し、知人の知人の知人でも6%、それ以外は0%というデータがあります。
自分が面識のない人の幸せ感も、自分の幸せに影響しているんです。
私たちは、自分の関わりのある人との関係性の中で生きていると思っているので、なかなか日常の中ではそのことを認識できません。
でも実は、全く知らない人からの影響も受けていることも考えていきたい。
地域の中で、いろいろな人とのかかわりをどう作るか、ということを私たちはいつも考えています。
「生きがい」や「目的」を地域の中にデザインする。
これらは、日本版CCRC構想有識者会議のデータです。
生きがいのある人は生きがいのない人と比べて生存率が大きく違う。
また、人生の目的をあまり感じていない人と目的を強く感じている人では要介護になる傾向も大きな差が出ます。
例えば、デイサービスに行っても、やることがつまらない。
「なんで俺が歌を歌わなきゃいけねえんだよ」みたいに感じる人は、デイサービスに行くよりも、「家で新聞読んでテレビ見てる方がいい」ということになる。
そうすると、地域の中で孤立してしまうリスクが生じます。
こういった福祉サービスを使わない人をどうやって支えていけばよいのでしょうか?
既存の「福祉」という考え方だけでは限界があり、「地域のなかでどうやって支えていくのか、どうやって生きがいを感じられるようにするのか?」というアプローチが必要であり、「参加したい、参加しよう」と思ってもらえる仕掛けが重要なんだと考えています。
人がつながり、支え合う西圓寺
私たちの活動に興味を持ってくれた人には、「西圓寺にいってみたら?」とお話しています。
今の活動の原点になった場所です。
当時、「障害の重い人や認知症の人でも地域で暮らせるには?」ということを考えながら、グループホームを作るなどしていたのですが、反対運動のようなものもありました。
地域自体のあり方も考えて行かないと思っていたところ、「地域の憩いの場だった廃寺を佛子園で何とかできないか?」という相談を地域の方からもらいました。
地域の方と話をして、
「佛子園がやるのではなく、自分たちの大切にしてきた場所として、一緒に関わってほしい。」
「どんな人が来てもNOとは言わない。」
この2つの条件を出して、地域のみんなで集まる場所を再興しようという話になりました。
石川県は温泉が多い地域です。
ですので、まず温泉施設を作り、地域の人には無料開放を始めました。
その温泉施設は、障害のある人が管理をしています。
そのうちに「自分たちが無料で使っている温泉を障害のある人たちが管理してくれているのに、何もしなくてよいのか?」という声が地域の人たちから自然にあがり、主体的に考えてくれる人が増えてきました。
今は、地域の人たちも一緒に掃除に加わわってくれています。
西圓寺の中には、他にもカフェ(夜は酒場)やコミュニティスペースがあり、いろいろな人がたくさん集まってきます。
一緒にお酒を飲んだり、梅干しづくりを教えに来てくれたり。
「いつもお世話になっているから、自分たちからも何かできれば…」と、地域の人たちが主体的に働きかけてくれるようになりました。
一つのエピソードを紹介します。
西圓寺を利用されている方の中で、重度心身障害の男性と認知症のおばあちゃんがいました。
男性は重い障害で首も15度くらいしか動かせない。
私たちが一生懸命リハビリをしてもなかなかよくなっていきませんでした。
そんなある日、おばあちゃんがその男性にゼリーを食べさせようとしたんですね。
でも、手が震えて上手くできず、口には入らず落ちてしまう。
最初は、職員も止めようとしたが、その様子を見守るようにしたんです。
何度か挑戦を続け、1週間経つと口に入るようになり、2~3週間経つと上手にできるようになった。
彼も食べようと首を動かす努力をして、おばあちゃんも頑張ったんです。
2~3か月経つと、おばあちゃんの家族から、「深夜徘徊が減って感謝している」と感謝の言葉をもらいました。
おばあちゃんは、「自分がゼリーを挙げないと男性は死んでしまう」と思っていて、早起きをして西圓寺に来るようになり、結果として夜早く寝るようになり、深夜徘徊がなくなったということです。
男性もゼリーを食べる習慣が生まれたことで、首の可動域が広がっていきました。
これは私たちにとって、驚くべき出来事でした。
福祉のプロが一生懸命、首の可動域を広げようとリハビリをしたり、認知症の方の深夜徘徊を減らそうと努力をしてきましたけれども、それを飛び越えて二人が関わることで、二人とも元気になった。
地域の中で自分が必要とされているという感覚や、人と何気なく話していることとかが、どれだけ人を孤立から救うか。
これってすごいことだなと思ったんです。
「私たちは福祉のプロ、僕らに任せてください」と自信を持っていたけど、そうではないんだな、自分たちが全て行うのではなく、人と人とが交わり、関わりを持てる場を作っていくことを考えればよいのだと思うようになりました。
6年間経って、地域の方で西園寺に来る人・世帯の数は増えていきました。
もちろん全く来ない人もいます。
色んな人がいてよいし、来ない人がいても、もちろんよいと思っています。
主体的な参加を促す「プロジェクトサイクルマネジメント」
具体的にどのように人の関わりを生み出していくのか、そのモデルの特徴も紹介します。
「プロジェクトサイクルマネジメント」というJICAでも用いられている手法を採用しています。
「住民参加型開発援助」とも言われ、住民を中心に据えて、住民自らのプランニングを行う手法です。
まずは、核となる場所の関係施設や居住者をリストアップし、関係者を整理します。
その上で何か困りごとがないかを分析・検証していく。
この分析は、佛子園についての情報のみ・私たちだけでやる訳ではありません。
地域住民の人たちと一緒にブレインストーミングをしながら引き出しています。
その地域地域によって住民の人たちが問題としている内容は違いますし、おかれた状況も違います。
地元の人たちと協議をすることでやるべきことを探していくのです。
大切なのは、最初の段階では何も言わないで相手の話を聞くこと。
つい「こうすればいいんじゃないか」と口を出したくなるんですけど、ぐっと我慢して黙って聞く。
そうすると、話している中で住民の人たちの中で、何が課題でどうしたいかということが整理され、どうすればよいかを主体的に考えるようになる。
うまくいってもいかなくても、それがぼくは地域をつくっていくってことだと思います。
そうやって地域の問題が見えてきたら、その問題を解決するための手法や、目標を考えて行きます。
「コミュニティ施設がない」ということであればコミュニティが関われる場所を作ろう、「新旧住民の間で対立がある」という話ならば、新旧の住民が協力してできることを探そうというように、問題はひっくり返すと全部目的になるんです。
そうやって住民と問題を共有し、一緒に問題解決のためのアプローチを考え、優先順位をつけながら取り組んでいくことで、住民が主体的に課題解決をしていく街をつくる。
実際は間にもっと様々なプロセスがありますが、これがプロジェクトサイクルマネジネントという手法の要です。
課外授業で勉強に来てくれた地域の学生の子が、学校に戻って発表する資料の中に、「少し疲れた時や悩みがあるときは、どうぞここにいらしてください」と書いてくれる。
私たち法人の人間ではなく、彼女が一人称で「いらしてください」って言っていることが、私たちにとっては誇りなんです。
よく「地域の人を巻き込んで…」という言葉が使われますが、“巻き込む”という発想ではないんだと思います。
その地域の人たちが、いかに自ら主体性を持っていろんなものに関わっていくか、ということを考えるのが大切なんだと思います。
人と人がつながり、かかわりあう街をどうつくるか?
私は都会だから田舎だからとかは関係ないと思っています。人と人がいるところであれば必ずできる。
四畳半であろうと本当に小さいカフェであろうと、人と人が一緒に膝を突き合わせて知恵を出して考えていく、そして行動していく。
そんなことがあれば、できないことなんてないように思います。
「人を育てられる人」を育てたいんです。
お話の中で、雄谷氏は笑顔でそう語りました。
地域の人たちが自然と集い、ごちゃまぜに暮らす街。
それを作りだしたのは、自分たちの暮らす街をどのようにしたいかということを考え、「みんなでよい街を作ろう」と主体的に行動し、お互いに支えあう地域の人たち。
そして、人と人とのつながりの力を信じ、地域の人たちに寄り添いながら、地域の人たちの行動や意識をポジティブに変えていった雄谷氏の努力なのだと思います。
これからの高齢化社会をよりよいものにするため、持続可能な地域のあり方を模索していくためには、制度・仕組を整えるだけでなく、人と人とのつながりの力を信じ、目には見えない関係性をいうものをしっかりと築いていく。
そのようなアプローチが大切なのだと思いました。
様々な「分断」や「孤立」が課題とされる社会を、人と人とのつながりが変えていく。
そんな可能性が垣間見えた一夜でした。
ゲストプロフィール
雄谷 良成 Ryosei Oya
社会福祉法人 佛子園 理事長
金沢大学卒業後、青年海外協力隊(ドミニカ共和国、障害福祉指導者育成) 財団法人フンダシオン・オーサカ(ドミニカ共和国、医療過疎地病院建設)センター長、 北國新聞社、金城大学非常勤講師等を経て、現在は、社会福祉法人佛子園理事長 普香山蓮昌寺(ふこうざん れんじょうじ)住職を務める。
平成26年3月に「Share金沢」を街開き。
開催概要
日時:2016年4月9日(土)
会場:カカクコム 恵比寿グリーングラスオフィス
PRESENTについて
2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿で迎えたいか。そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。
「live in the present(今を生きる)」という私たちの意志のもと、私たちが私たちなりに日本の未来を考え、学びたいテーマをもとに素敵な講師をお招きし、一緒に考え対話し繋がるご褒美(プレゼント)のような学びの場です。
写真撮影
近藤 浩紀/Hiroki Kondo
HIROKI KONDO PHOTOGRAPHY