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イベントレポート

「超高齢社会を‟明るい社会”と今のままで、言えますか?」 在宅医療のパイオニアの挑戦に学ぶ、これからの地域社会の在り方。(PRESENT_13 佐々木 淳レポート)

サイトリニューアルに合わせてPRESENT Archiveとして、過去のイベントのレポートを順次公開していきます! 今回は、2017年8月に開催した「PRESENT_13 佐々木淳 これからの医療と介護をつくるのは誰だ!? 次世代に告ぐ、在宅医の覚悟」のレポートです。どうぞご覧ください!

第13回となるPRESENT。サイボウズ株式会社の素敵なオフィスをお借りし、医療法人社団悠翔会 理事長の佐々木淳氏から「これからの医療と介護をつくるのは誰だ!?次世代に告ぐ、在宅医の覚悟。」というテーマでお話を伺いました。

世界でも類を見ない日本の高齢化。最期を自宅で望んでいても、在宅医療の環境が整備されていないことで、多くの方が病院で亡くなるという現状があります。 「病気や障害を抱えながらも、生き生きと在宅で暮らせる地域をつくるためには、どうすればよいのか?」その難しい問いに対して真っ向から挑んでいるのが、悠翔会と佐々木氏です。

地域の医療機関と連携し、24時間・365日対応可能な在宅医療モデルの構築を進められています。高齢化社会における地域の暮らし・医療をよりよくしていこうとする佐々木氏の挑戦と、その挑戦の原動力となる熱い想いについて、伺いました。

超高齢社会は明るい社会だと思いますか?

そんな佐々木氏の問いかけに、会場から挙がった手はごくわずか。 普段介護の仕事に携わっている私自身も手を挙げることはできませんでした。私だけでなく、会場に集まっていたのは、多くが介護・医療関係者でしたが、そんな人たちでも超高齢社会を「明るい」と思えない状況が浮き彫りになりました。

なぜそうなってしまっているのか、まずそこを見直すところから始まり、これからの地域医療・介護において何が求められるか、超高齢化社会のプレーヤーとして何ができるかを改めて考える機会となりました。

超高齢化社会の見方をまず変えてみる。

超高齢化社会はなぜ“暗い”というイメージがあるのでしょうか。大きくは、2つあげられます。

1つは、社会保障制度の維持について。社会保障制度を支える若者が減って大変になるという印象を持っている人が多くいると思います。

もう1つは、歳を取って生きていくことを「みじめで悲惨だな」と感じている人が多いのではと思います。

諸説ありますが、身体的機能のピークは20歳ぐらいで、それ以降は衰えていくと言われています。私は大学生時代、「歳を重ねると、身体が衰えて、顔も老けて嫌だな」と思っていた。でも、40歳を超えてみて、「やりがいがある仕事ができて、しっかりとした役割を持ち、そう悪くない」と感じています。

日本では、多くの人が65歳で仕事を引退し、身体が元気なのにやることがなかったり、働けるのに居場所がなくなってしまう人が多くいます。そうしているうちに、高齢者の心身の機能は低下していく。社会的な立場を失い、次第に身体的機能も落ちて誰かの世話になるという現状が、歳をとることがみじめだなと感じさせてしまうのでしょう。

しかし、本当にそうでしょうか? 見方を変えることで見えてくるものがあります。まずはそこから超高齢社会を見直してみましょう。

病気や身体機能の低下=不健康?「健康」の定義を変えてみる

皆さんは、自分自身の老後に向け医療・介護のお世話になる備えはできていますか?
日本人の死亡統計を紐解くと、8割の人は病気や怪我で要介護となり、リハビリなどで回復と悪化を繰り返し、最期を迎えるということになります。医療と介護のお世話になる機会は他人ごとではありません。

現在の日本人は平均寿命と健康寿命には男性で9.68年、女性で11.5年のギャップがあります。 健康であっても、人生の最期10年は身体に障害を持ち、医療と介護のお世話になる時期が来るということになります。

そもそも“健康”や“障害”とはなんでしょうか。

“健康”という言葉を聞くと、身体的機能の健康を連想します。体の機能に着目し、健康かを判断する形を「医学モデル」といいます。「医学モデル」の観点から言えば、歳をとったり病気になったりして、身体的機能が損なわれている状態は、健康ではないということになります。

では、身体機能が損なわれたら、幸せな生活はできないのでしょうか?

例えば、物理学者のホーキング博士という方がいますが、彼は運動ニューロン疾患で動くことや話すはできません。それでも考えはコンピュータで言語化して論文を書き学会にも参加しています。 彼は技術を借り、社会的資源を活用して、身体の障害や問題を補完することで社会参加をすることができます。

環境や道具によって、障害はハンデではなくなります。最近ではバリアフリー化も進み、車いすでも移動のハンデは少なくなってきています。その障害をハンデかどうかと規定するのは、そのコミュニティであって、障害そのものではないのです。

このような視点で、その人の生活機能水準に着目をして、健康かどうかを判断しようというのが「生活モデル」といいます。障害があっても医療技術やテクノロジー、社会インフラの整備によって、健全な生活を送ることが可能であれば、健康だと判断する考え方です。

実際、視力が悪く、裸眼での日常生活が難しい人も、眼鏡やコンタクトレンズを使用することで支障なく生活できます。足腰が悪くても、認知機能が低下しても、呼吸器に問題があっても、医療技術やテクノロジーの力で手軽に機能を補完できれば、それはハンデではなくなります。

「医学モデル」的な健康も確かに重要ですが、もっと大事なことは「生活モデル」に着目をして、「健全な人生を継続することができるか」ということです。

高齢社会では、歳をとって病気・障害を抱えた人でも、その人らしい人生・生活を継続することができる環境を地域コミュニティの中で、社会全体で整えていくことが重要です。

65歳以上=高齢者?「高齢者」の定義を変えてみる。

現在の高齢者の定義は65歳以上ですが、現在の状況に照らし合わせると、この定義は見直すべき時期にきているのかもしれません。
1920年、男性は60歳まで仕事をして、平均61歳でなくなっています。女性はご主人が退職した時は56歳、自身は61.5歳で亡くなるのが平均でした。この年齢構成の社会では65歳は高齢者と言えます。

しかし、今は違う。

2009年では、65歳まで働き、男性は平均80歳、女性は平均87歳まで生きる。身体機能でみても、30年前の65歳と今の75歳はほぼ体力的に同じです。 ちなみにサザエさんという漫画では、波平さんが54歳、フネさんが48歳。現在の年齢のイメージとは大分違いますね。

日本人は長生きになっているだけでなく、若くなっており、「65歳=高齢者」という定義があてはまらなくなってきています。 老年医学会などでは「75歳から高齢者」という考え方があります。 もし75歳以上を高齢者とするならば、2060年でも高齢化率は27%、現在の高齢化率とあまり変わらないとも考えられます。

というわけで、「75歳まで健康に働ける」という状況が作られれば、超高齢社会はそんなに悲惨ではないと思っています。

高齢者の定義を見直し、適応した環境を作っていくことが今後の1つの課題でしょう。

「超高齢化社会は大変だ」と漠然と感じていました。しかし、既存の定義を見直すことによって物事のイメージが変ってきます。
時代・社会構造の変化、テクノロジーの進歩などによって、すべてが変化していく。私たちも変化に応じて物事を、とらえていく必要があるのだと感じました。では、既存の定義が変化していく中で、今後求められる医療の在り方とはどういったものなのでしょうか。

医療は、もっとケアと一体になる必要がある。

高齢化が進むと、医療に対する考え方も変化が求められます。

高齢者の疾病は若い世代と異なり、いくつかの要因が複雑に絡み合っていて、対処しにくいことが特徴です。治療のための安静が原因で、身体機能が低下や認知症が進行してしまうなど、かえってよくないことも起きてしまいます。

ですから、高齢者への医療は病気・怪我だけを直すという視点だけでなく、その先の生活への復帰を視野に入れて、何をどこまで治療するのか、その先の地域での生活をどのように支えるかという視点が重要となってきます。

具合の悪い人を支えるのが地域であり、その仕組みを考えるのが医療・介護の仕事だと思います。

退院直前ではなく、入院してできるだけ関係者が早く集まって「この人は家ではこう暮らしていたので、どこを治してくれれば家に帰しても大丈夫です」という様に、高齢者医療はケアと一体になっていかなければならないと考えています。

「自分らしく自宅で生きる」を支える、これからの在宅医療システム

「具合の悪い人を支えるのが地域であり、その仕組みを考えるのが医療・介護の仕事」と述べましたが、高齢化の進展で、「地域に受け皿がない」という課題が大きくなってきています。

例えば、救急医療の現場でも、搬送されるのは高齢者が多く、中軽症の患者さんたちの方の搬送が増えています。「病院にアクセスしづらいから」「どうしたらよいか分からないから」という理由での搬送の件数が圧倒的に増えている。中軽症の患者さんたちの受け皿を別に考えなければなりません。

看取りについても見てみましょう。日本では年間130万人ぐらいの方が亡くなっています。高齢化により死亡者が増え、病院での看取りが難しくなってきます。在宅や施設で看取る人を増やしていかないと看取りきれなくなり、「看取り難民」となる人が2040年~2060年で、41万人~47万人にもなるという試算もあります。

日本では自宅で最期を迎えられている人は全体の12.8%です。多くの方が病院で亡くなっているのが現状ですが、それすらも難しくなっていきます。望む人は自宅で最期まで過ごせるためにも、「看取り難民」の問題を解消するためにも、高齢社会に適した医療が求められます。それは、より地域に密着した在宅医療の存在です。

「医療を担うのは病院」というイメージを私も持っていましたが、高齢化社会においては、地域の中で医療・介護が一体となってケアをしていくことが求められると感じました。では、佐々木氏が推し進める「地域に密着した在宅医療」とは、一体どのようなものなのでしょうか。

私が理事長を務める悠翔会では、望む人は自宅で最期まで過ごせる環境をつくるために、地域コミュニティの中で在宅医療を中心としたシステムの構築を進めています。

私が地域医療に係わるようになった経緯からまずお話します。中学生時代から医者になることを志し、大学に入り内科の道へ進みました。内科を選んだのは、すべての臓器を対象に治療していけると思ったからです。

しかし、2006年に始めた在宅医のアルバイトで、私の価値観は大きく変わりました。

それまで私は、病気を治せないことはすごく不幸なことだと思っていました。でも、患者さん達が病気や障害を抱えながらも、いきいきと自宅で暮らしているということを知りました。「病気が治らないことが不幸だ」というのは、我々医師の価値観でした。自宅で自分らしく暮らしている患者さんたちのため、私も在宅の道に進みました。

在宅医療の患者のニーズから、在宅総合診療と確実な24時間対応、治らない病気の人もいるので生活が最優先と考えました。

私は内科専門ですので、他の科の先生にも入ってもらい、在宅総合診療の体制を作りました。その後、眼科・訪問歯科診・電子カルテの製作などと範囲を広げていきました。患者数が増えれば、当然一人ですべての夜間対応は厳しくなるので、非常勤の先生で救急診療部を作り、24時間対応も一元化しました。在宅医療は医者だけではできません。在患者さんの状態に合わせて他職種も一体となったチームを組んで治療にあたっています。

地域の在宅医療の休日・夜間対応のバックアップも行っています。
首都圏は、後期高齢者がこれからどんどん増えていき、在宅で診なければならない人増加します。一方で、首都圏人口当たりの医師数は決して多くないので、少ない医師数で、効率的に高齢者を見る必要があるのです。

できれば、在宅医療はかかりつけ医がやるべきとも思っていますが、残念ながら首都圏ではかかりつけ医をしているお医者さんは少ないです。多くの、かかりつけ医は外来しか診ていないので、歳と共に通院が難しくなる患者さんも増えてきます。訪問診療を行うとなると、24時間対応が求められてしまい、難しいのが現状です。

今私たちがしているのは、地域の在宅医療の休日・夜間対応のバックアップで、主治医の先生で診きれないときに、私たちが「副主治医」として代わりに診療しています。
法人を越えたチームで地域医療をバックアップする体制を作ったことで、5000人の患者さんが新たに医療を受けられるようになりました。

地域医療と連携をするにあたって、地域のニーズがどこにあるのかをキャッチするがとても大切です。診療所が10ヶ所ありますが、それぞれの地域によってニーズや課題が違います。他職種連携協会や勉強会などで地域と接点を持ちながら体制を構築してきました。

首都圏においてはこのように、地域の様々なプレーヤーが連携しサポートしあうシステムや、法人の枠を超えて協力をする体制が、在宅医療難民を出さないための一つの方法になるのではないかなと考え、新たな仕組みをつくる挑戦をこれからも続けていきます。

多様化する高齢者社会の問題に対して、個々に行うだけでは埋められない穴を、それぞれの専門性を持ってバックアップしていく形を作るというのは医療以外でも必要な考え方だと感じました。もちろん、法人の枠組みを超えることはたやすいことではないと思います。接点をいかに持って関係を構築していくかが鍵だと、佐々木氏のお話を聞いて感じました。佐々木氏はなぜこれまでにない形を作ることに成功したのでしょうか。
そこには佐々木氏が潜在的なニーズを読み解き、それに対して行動してきた経験が基になっているといいます。

未来を変えるためにニーズを読み解き、行動する。

私がとにかく行動するのはこれまでの体験がもとになっています。大学は筑波大学医学専門学部に入学し、「医学水泳部」に入部しました。

医学生は医学生だけで集まる変わった習慣があり、普通の水泳部と別に、医学部生のみの水泳部というものが存在していました。私はその習慣が嫌で、自分が総務になった時に、医学水泳部を全学部生に開放しました。筑波大の水泳部はとても強く敷居が高いため、気軽に水泳をしたいという人もいるのではないかと思って開放をしました。読みは的中し、たくさんの学部から、一気に70人が入部しました。
学園祭でも何が求められているか、何が足りていないかを、徹底的にマーケティングをし、模擬店で500万円の利益を出す程の成功を収めました。

この2つの経験は、どちらも潜在的なニーズを読んで行動したことによる成功体験です。
この体験はその後の人生の挑戦においても大事なことを学べた機会となりました。

大学3年の11月には、ウェブデザイン会社を立ち上げました。当時はホームページがほぼ無い時代です。筑波大にはネットにつながる環境があったので、ホームページを地域の自治体に声をかけて作り、成功をおさめました。

ここでも、ビジネスで一番大事なのはニーズだと感じました。
目に見えているニーズは先に誰かが手を付けているので、ビジネスは潜在的なニーズにどれだけ先読みできるかが大事。ニーズを読み取るだけでなく、顧客にニーズを気づかせるというのも大事ことです。
前例がないとか先入観があるとか、なんとなく行動しない理由を並べてしまうことがあると思います。いざ踏み出してみると、リスクもあるけど楽しい世界が広がっていたということが知れました。

他にも、健康食品や化粧品の臨床試験を行う会社を設立、家具屋、雑貨屋、カフェもしましたがこれらはうまくいかずに撤退しました。試してみたら意外と大変ということが分かりました。

振り返ってみるとたくさんの成功体験、失敗体験をいろいろしてその経験から学ぶことが多かったです。行動してみないとわからないことがあった。行動することで自分が成長するということはあると思います。僕は学生時代の成功がなければ今、開業するという決断に至らなかったかもしれません。

行動しないと自分自身の未来は変わらないと思います。今、踏み出すことで10年後の自分は違う姿になっているかもしれません。もしかすると、成功しているかもしれないですし、もしかすると落ちぶれているかもしれない。でも、やってみないと変わらないことは確かにあると、私自身の経験から言うことができます。

変えるためには行動あるのみ、もちろんうまくすべてがうまくいくわけではないけれどやってみなければわからない。まさに体現しているからこそ説得力のある内容だと思いました。

ここまでは主に社会の現状・地域の医療システムについてのお話でした。それでは、一人ひとりの支援はどうすればよいでしょうか。続いては一人ひとりの自立支援についてのイメージをとらえて、地域において私たちがどうしていくかを考えます。

“自立支援”をするための“根っこ”の再生

地域社会の高齢者が継続して生活を送るには“自立支援”は欠かせません。では、“自立支援”とはなにか。高齢者を一本の立ち木に例えて考えてみましょう。

木(高齢者)が様々な要因で、自分一人で立つのが難しくグラグラしてきます。医療・介護職はとにかく木の周りを支えて自分で立てるように支援をします。
けれど、林の中には他にもグラグラする木が増えて支えもたくさん必要になります。医療介護職は足りなくなります。どうすればよいでしょうか?

「根っこ」を再生させるのです。

「そもそも、木がなぜ一人で立てなくなくなっているか?」ということを考えると、 “根っこ”の部分が弱くなっています。
“根っこ”は何かというと、家族、友達、そして地域社会です。高齢者の場合、死別や離別、定年で職を失うなどといった形で、人や地域とのつながりなど “根っこ”の部分が弱くなってしまい、孤立してしまう。人とのつながりが薄い場合ほど、高齢者の死亡リスクが上昇するというデータがあります。

健康な生活を送るのに、実は医療の優先順位はかなり低いです。生活、社会的機能を保ち続けること、体の機能が低下しても自分の決定が尊重されること、自分の意志で自分の生活が選択できることが、健康で長生きの秘訣です。

高齢者を取り巻く環境の中で弱ってしまった、人とのつながりである“根っこ”の部分を再生させることが、医療・介護の負担を減らし、誰もが自立して暮らせる持続可能な社会を作ることへとつながると言えるのです。

高齢者の自立をどう支えるか。痩せ細った根っこを何とかできないか。配偶者を失っても地域にいるたくさんの人、あるいは施設の方と繋がりを持っていけないか、あるいは世代を超えて若い人とももっと交流したらどうか、新たに社会の中に役割を求めたらどうか。

“根っこ”の再生こそ自立支援です。地域によって土壌も気候も違う、木によって失った根っこは違い、なぜ弱ったのかはそれぞれ違います。
医療・介護の領域だけでなく、地域全体でどのようなシステムを作っていくかを考える必要があります。生活を継続するためにバックアップをするシステムを地域ごとにそれを作っていく必要があります。

そのプレーヤーは地域に暮らす一人ひとりです。医療・介護に携わる人はもちろん、様々な世代・職種の人が自分自身の住む地域のこととして、何ができるかをそれぞれの地域特性に合わせて考えていく。その際のキープレーヤーとして医療・介護職が地域と積極的に関わっていく。これからの医療・介護の領域に求められるスキルの一つではないでしょうか。

首都圏ではこれから高齢者が増えてくるなかで、少ない人員で多くの人を支えるシステムを構築する必要があります。「この人がいるから安心」ではなく、「このシステムがあるから安心」だという風にしていく必要があると考えます。

地域の再生のキープレーヤーに、医療・介護職はなれる

佐々木先生の力強い言葉に私は、介護に携わるということに、大きな可能性を感じました。個人や一つの組織だけでは取り組むことが難しいこの取組みに、医療・介護職が中心となってシステムを構築して支える。これまでの私にはない発想で、そんな介護職になっていけたら、とワクワクする自分がいました。

講演の間には、佐々木先生の話を受けて、参加者同士で対話する時間が設けられます。「地域の根っこ」を再生させるために、超高齢社会を明るいものにしていくために、熱い対話が繰り広げられました。最後に超高齢化社会のプレーヤーとして、私たち一人ひとりに何が求められるかを考えていきます。

高齢社会のプレーヤーとして行動する

高齢社会は誰の問題でしょうか?日本政府の問題でしょうか?日本に暮らす私たち一人ひとりの問題なのだという意識を持ってもらいたいです。

このまま問題を放置していては、若者や子どもたちの世代にとってより大きな問題となってしまいます。既存の経験や知識は大事ですが、それだけでは高齢社会の問題を解決するのは難しいでしょう。チャレンジングな提案がなく、誰もリスクをとらないまま崖っぷちに向かって行ってしまいます。

だから、なんでもいいので小さな行動を起こしてほしい。私自身も行動してみないとわからないことがありました。上手くいくかどうかは分からないけど、行動することで自分が成長するということはある。行動しないと未来は変わらない。

誰かが行動して、穴をあけるとそこから何かが変わるかもしれません。そこから社会のシステム、既存の定義も変わってくるかもしれません。 そんなプレーヤーが一人でも多くこれからの超高齢化社会を明るくするためには必要なのです。

小さくてもいいから、挑戦を、行動をしてほしい。

その言葉は、日々の仕事に追われる中で、なかなか新しいことに挑戦をすることが出来ていない自身の現状に気が付くきっかけとなりました。超高齢社会のキープレーヤーとして求められることは、様々な問題にその場しのぎの“対応”をすることだけでなく、根本的に“解決”していこうと行動することなのだと思います。だからこそ私も小さなことでも行動していこう。うまくいってもいかなくても次の糸口はつかめるかもしれない。そんな思いを抱きました。

きっと、佐々木先生の話は私以外の参加者の心にも火をつけたはず。そんな一人ひとりの小さなアクションがつながり、連携しあうことで、「超高齢化社会は明るくなる」と自信を持って手を挙げる人が増えていくのかもしれません。


 

ゲストプロフィール

佐々木 淳 Jun Sasaki

医療法人社団悠翔会理事長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。 東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。 2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。
※プロフィールは、イベント開催時の情報となります。

開催概要

日時:2017年8月13日(日) 会場:サイボウズ株式会社 東京オフィス

PRESENTについて

2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿で迎えたいか。そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。 「live in the present(今を生きる)」という私たちの意志のもと、私たちが私たちなりに日本の未来を考え、学びたいテーマをもとに素敵な講師をお招きし、一緒に考え対話し繋がるご褒美(プレゼント)のような学びの場です。


写真撮影


近藤 浩紀/Hiroki Kondo
HIROKI KONDO PHOTOGRAPHY

この記事を書いた人

清水 達人

清水 達人Tatsuhito Shimizu

介護職、介護予防運動指導員KAIGO LEADERS PRチーム

学生時代に防災関係の活動や海外ボランティアに従事。東日本大震災時にも、学生ボランティアとして東北でも救援活動を行う。
介護士の経験と防災への関心から、「介護×防災」を考える“防災介護士”としての活動をスタート。