「ひとりの想い」から地域福祉が変わる!20年かけて到達した“小さなゴール”とは? (社会福祉法人ゆうゆう)
日本各地には、ワクワクする介護・福祉の実践がたくさんあります。
2020年12月12日と13日に、「全国介護・福祉事業所オンラインツアー」と題し、北は北海道、南は佐賀県まで全6事業者の取り組みを紹介するイベントを開催いたしました。
第1弾のテーマは、「福祉からの地域づくり」。
少子高齢化・人口減少社会がますます加速する今、地域の中で介護・福祉が担う役割はどんどん大きくなっています。
福祉の仕事が、10年後20年後の地域の風景をつくっていくのかもしれません。
1つめのツアー先は、北海道の「社会福祉法人ゆうゆう」です。
理事長の大原 裕介さんにご案内いただきました。
社会福祉法人ゆうゆう とは?
社会福祉法人ゆうゆうがあるのは、札幌から約40分のところにある「当別町」。人口は、約1万7000名弱。人口推計によると、2035年に老年人口と生産年齢人口が逆転すると予測されています。
そんな地域において、社会福祉法人ゆうゆうは福祉事業を推進し、いかに地域をデザインして、自治体として維持していくかを大きなテーマとして掲げ、活動しています。
ゆうゆうのビジョンは、”「ひとりの想い」を文化にする。”「成長」「地域での暮らし」「はたらく」を支えるため、コミュニティ農園やカフェなどの運営をしています。すべての事業は「ひとりの想い」から始まり、子どもからお年寄りまで、障がいのあるなしに関わらず、あらゆる人がお互いに支え、支えられる地域を創ることを目指しています。
ゆうゆうのはじまりは、「ひとりの想い」から
「ひとりの想い」を大切にする、ゆうゆう。
スタートのきっかけも、“ひとり”との出会いでした。
たいち君というダウン症の子と出会ったのが大きなきっかけです。
たいち君のお母さんは、出会った頃、泣きながらこのようにお話されたそうです。
「できるなら自分の方が長生きしたい。息子に先だってほしい」
「私が面倒をみられなくなったら、この町で誰が息子を将来見てくれるのだろうか」
大原さんは、こう返しました。
「僕は、お母さんの気持ちには寄り添えません。ただ、たいち君の味方にはなれます。自分の親に、 先立ってほしい と言われたら、悲しみますよ」
その時、お母さんは、「初めて息子の味方になってくれる人に出会えた」と笑いながら喜んだそうです。ここから、「ひとりの想い」を大切にする本人主体の取り組みがスタートしました。
困っている方が、困っている方を助ける
大原さんは大学4年生の時、商店街にある空き店舗を活用して、在学していた北海道医療大学のボランティアセンターをつくりました。
1階では、全国の障害がある方々の作品、商品や食べ物等を委託販売するといった取り組みをおこなうカフェ。
2階では、障害を持つお子さんをお預かりし、ケアをしたり、親御さんたちの介護休息を目的としたサービスを始めました。
当時、当別町には、障害がある子ども等が通えるような場所が無かったので、「きっと多くの方が利用してくれる」と考えていた大原さん。しかし、現実は異なっていたようです。
はじめの頃は、「障害があることを隠したいので、人目のつかないところに作ってほしい」という声が多く、なかなか利用する方が増えませんでした。
大原さんは、「本人主体」を考えたとき、「子どもたちは、人目のつかないところで生活したいわけじゃないだろう」と思い、その意見をはっきりと親御さんに伝えたそうです。
親御さんたちと話し合いを重ねていき、共に学びを進めていくことで、お互いに理解が進んでいきました。
地域住民の方から、お子さんが頭を撫でられ、「大きくなったね」と話しかけられるといった場面を親御さんがご覧になり、地域で受け入れてもらえたり、認めてもらえる実感を親御さんたちも持てるようになったといいます。
専門的なサービスという箱のなかで、子どもたちをケアしていくことには限界があります。むしろ、地域全体を社会資源として捉え、地域の方々と互いに気配を感じたり、声を掛け合ったりといった関係を作っていくことが彼らの自立につながるということを学びました。
最初は、障害を持つお子さんを対象にした取り組みでしたが、最終的には0歳から96歳までの支援に広がったといいます。専門職ではなかったのですが、「どんなケースも断りたくない」という姿勢で向き合いました。しかし、悩んだケースもあったそうです。
0歳のお子さんが来た時は悩みました。
悩んだ結果、「僕らが日々支援している障害があるお子さんを持つお母さん方が見れば良いんじゃないか」と思いつき、お願いしたのですが、最初は断られました。「自分の子育てに自信が持てないのに、人様の子どもの面倒を見られない」と……。その後、お願いし続けると、そのお母さんたちがチームを組んで0歳の子をあやしてくれました。
そうすると、親御さんたちのこわばった顔が朗らかになっていきました。今まで自分を責めていたことから解放されたのです。さらに、自分の障害のある子どもに対する対応も柔らかくなっていきました。結果として、その障害のある子どもも落ち着いてくるといった家族全体の好循環を生み出したのです。つまり、困っている方が、困っている方を助ける存在になり得るということです。
専門職だけではなく、さまざまな人や組織を巻き込んだ実践を、社会福祉法人ゆうゆうは現在も大事にしています。
25歳で起業
この活動をもとに、大原さんは、25歳の時に、仲間3名とともにNPO法人を起業しました。
「障害のあるお子さんたちが一生涯、本人やご家族が望むかぎりこの町で暮らし続けられる」ということを掲げて制度ビジネスをスタートさせたのです。
他にもプロジェクトを始めます。
困りごとや生きづらさを抱えているのは障害のある方だけではないので、そういった方々に、僕らだけではなくて住民の方々が手を差し伸べられるような仕組みを作ろうということで、制度と住民の方を活用したインフォーマルサービスを両輪にするNPOを立ち上げました。
16年の時を経て、現在は、北海道では13箇所、東京では2箇所の拠点を持ち、従業員300名を抱える社会福祉法人となっています。
ここからは、各拠点の説明をしてくださいました。
人口の10%がボランティア
当別町共生型地域福祉ターミナル・当別町ボランティアセンターは、制度ではサポートできない方々を住民がサポートするコーディネート機能を持つ拠点です。
登録しているボランティアは、約1700人。人口の10%が登録しています。
無償のボランティアの方、一定の研修を受けて寄り添うサポートをする方や専門的なことができるように研修を受けステップアップする方もいます。さらにチャレンジしたい方はジョブワーカーとして働きます。このようなステップを設けて様々な地域のニーズに対応できるような仕組みを作っています。
その当別町の豊富なボランティア資源を有効活用するため、高齢者と学生ボランティアの点在情報を集約し、有機的に連携・連動しています。 子ども、高齢者、障害者など、年齢や障害の種別を越えた「地域住民の交流」を図り、「困ったときはお互いさま」の精神で地域福祉を支えるさまざまな住民のボランティア活動情報を集積し、推進するための拠点をつくっています。
ボランティアにもかかわる意義を見出し、楽しんでもらえるようなコーディネートになるように努めています。
例えば、色んな事情を抱えたお子さんのサポート役をすることで、「自分がここに存在してもいいんだ」と感じている方もいます。
誰でも、いつでも立ち寄れるレストラン
障害者の就労継続支援B型事業所として、レストランも運営もしているそうです。
障害のある方が、ここで調理補助をしたり、ウエイターをしたり、隣接する畑で農作業をしたりして働いています。
「福祉だから」という理由で物を売るのが僕は嫌なので、腕のいい料理人が活躍してくれています。
単なる就労の場ではなく、地域で色々な事情を持った方々が、イベントで集まったり、「いつ来てもいいような状態」をつくり、1人暮らしの方やお子さんが立ち寄り、地域のなかで色んな方と出会えるスペースになっています。
介護を必要としている方の自己実現
他にも、大原さんがチャレンジしていることについてお話いただきました。
93歳で要介護3の女性がいました。10代後半から認知症になるまでずっと畑仕事をしてきました。認知症発症後は、本人が望まないデイサービスに通うことに。その方は、本当は畑仕事を続けたかったのです。「やりたいことを応援しよう」ということで、我々が運営する畑で働いてもらいました。
当初は杖を使い、歩くのもままならない状況でしたが、鍬(くわ)を持つとピシッと立ってガツガツと畑仕事をされました。本当に驚きました。
この方には、作っていただいた野菜をフェアトレードとして買取し、お金をお支払いしました。こういうことは介護保険ではできません。障害福祉のフレキシブルなサービスを活かして、介護を必要としている方の自己実現や働きたいという要望に応えたいと考え、取り組んできました。
食を通じて、“福祉”をひろげる
当別町は耕作放棄地が増えています。それをどうにかしようと取り組んだこともあるそうです。
8ヘクタール、米が約15トンつくれる畑を譲っていただきました。譲ってくれた奥さんがすごく喜んでくれたんです。「主人の代で止まってしまった畑を、若い人たちが使ってくれる」と、仏壇に向かって手をさすりながら泣かれていました。
ここで、重度障害を持っている方が働いています。
ここで作っている野菜を加工して、野菜を通じて人と繋がっていき、我々のやっていることを色々な人に知ってもらおうと考えていました。そんな時に、新国立競技場のデザインをした隈研吾さんとたまたま出会う機会があり、その想いを伝えたところ、共感してもらいました。
その出会いをきっかけに、東京大学の工学部の一角に、「U-gohan」という学食を、隈研吾さんにデザインしてもらってつくりました。ここでは、北海道の畑で作ったお米や野菜を加工して、東大の学生に届けています。食を通じて僕らのことを知った学生たちにマイノリティや福祉・障害の世界を学んでもらいたいという、教育的な機関でもあります。
福祉の仕事の“小さなゴール”
大原さんが活動をスタートさせるきっかけとなった“たいち君”の近況を写真とともに伝えてくださいました。
渋谷ダブルトールカフェ北海道医療大学店でいきいきと働いています。
来春からはグループホームに入居し、親元を離れることにもなったそうです。
たいち君のお母さんが僕に想いを泣きながら話してくれてから、20年かかりましたが、小さなゴールに到達し、少しだけお母さんに寄り添えるようになったかなと思っています。本当に時間が掛かる仕事ですよね。
皆さんがやっている仕事のなかにもこういった小さなゴールってあるんですよ。僕らが目指していることって、大きなことだからゴールの無い仕事だと思いがちですが、必ず皆さんの実践のなかでゴールがあると思っています。
まずは、是非とも自分を認めましょう。そうしないと、他者を認める力はついてきませんので。
質疑応答
ここからは、コーディネーターのゆりっぺや、参加者の方からの質問に答えていただきました。
大原さん:平たくいうと、福祉の人と付き合わないこと。僕らの仕事において、福祉・医療・教育等との連携を多職種連携と言いますが、地域をつくるときの多職種連携を考えると、もっと色んな方々がいます。
僕たちは、わからない専門用語を使って、自分たちの土俵に入れたがりますが、まずは、その方たちの土俵に入ることが大事ですね。その人たちの言葉を使って向き合っていきます。
例えば、飲食店の経営は現在厳しい状況にあります。僕らもしっかりそこに入り込んで、どう向き合っていくかを考えなければなりません。
福祉と何かでつながることで、その人たちにとってのメリットとかを生み出せるかもしれません。ギブアンドテイクというよりも、ギフトしていくのを大事にしている。
「ひとりの想い」への向き合い方の深さ、そして、そのために多くを巻き込んでいくパワーを持つ大原さん。
お話をうかがい、まずは、自分1人だけでケアをするのではなく、「誰とやっていくか」という視点を常に持って日々の仕事に取り組むことから始めたいと思いました。それを繰り返すことで、想像もしていなかったような景色を、共に見られる日が来るのではないかと、とてもワクワクしています。
ゲスト紹介
社会福祉法人ゆうゆう 理事長 大原 裕介
平成15年に北海道医療大学ボランティアセンターとして設立。学生による任意事業の障がい児預かりサービスや0歳から96歳までの生活支援サービス等を3年間実施。卒業後、NPO法人当別町青少年活動センターゆうゆう24(現在「社会福祉法人ゆうゆう」)を起業する。
人口減少時代における、あらゆる住民がそれぞれの立場を超えた支え合いによって福祉的実践を構築する共生型事業や国内外のアールブリュット事業の発信、民間活力を活用した社会的事業の研究など社会に必要とされる様々な実践を創り続ける。
北海道医療大学の客員教授として、福祉現場の魅力を伝え後進者を育成するほか、NPO法人全国地域生活支援ネットワーク代表理事として様々な政策の提言にも関わる。
イベント概要
日時:2020年12月12日(土)15:00~16:15