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イベントレポート

「福祉は10年後20年後の風景をつくる仕事」福祉楽団・飯田大輔の目に映るこれからの 福祉の姿。(PRESENT_05 飯田大輔 レポート)

2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿でその時を迎えたいか。

そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。2015年12月から2016年の4月にかけて、計3回にわたり、私たちは「地域包括ケア」をテーマに掲げ、地域の中で様々な実践をされているプレイヤーをゲストにお迎えしました。

株式会社あおいけあ代表・加藤忠相氏、社会福祉法人佛子園理事長・雄谷良成氏、そして社会福祉法人福祉楽団理事長・飯田大輔氏をお迎えし、変化していく地域の中で、介護がどのような役割を担うべきか、改めて考えて行く機会となりました。

過去のPRESENTの記事をレポートにまとめ、学びを記録していくPRESENT Archive。

今回は、2016年2月に開催された「PRESENT_05飯田大輔 “福祉”って何?地域の声からうまれる新たなカタチ」の様子をレポートいたします。

障害を持つ人たちと共に、美味しいハムやソーセージをつくり、地域で愛されるレストランを手掛ける恋する豚研究所

子供から高齢者まで様々な世代の人が集い、共に日常の時間を過ごす「多古新町ハウス」

福祉と林業を組み合わせ、地域課題を解決する「薪プロジェクト」

福祉楽団が手掛けるサービスは、私たちの多くが抱える「福祉」という概念を飛び越え、農業・林業など様々な分野と重なりながら、豊かなコミュニティ・人と人とのつながりを生み出しています。

福祉の仕事って、10年後20年後の地域の風景をつくっていく仕事だと思うんです。

様々なプロジェクトの仕掛け人である飯田氏は、そのように語ります。

従来の福祉のあり方に囚われず、様々なアクションを仕掛ける飯田氏は、一体どのような未来を見据えているのか。そのまなざしの先には、これからの「福祉」、そして「地域」のあり方を探るヒントがあるように感じました。

「恋する豚研究所」美味しいハムと居心地のよい空間。

(恋する豚研究所ホームページより)

家業であった養豚事業を活かし、養豚、豚肉の精肉加工、ハム・ソーセージづくり、そして地域に愛される食堂運営を行う、「恋する豚研究所」。「就労継続支援A型事業所」という障害者福祉事業のスキームをとりながらも、「福祉を言い訳にしない」と飯田氏は話します。
お休みの日には食堂に多くの人が集い、人気メニューである1080円の豚しゃぶ定食を楽しみます。食堂は多い月では1000万円の売上が出るそうです。お客さんの多くは、その食堂が障害者の作業所であることは知らず、居心地のよい美味しい料理の食べれる場所として訪れているそう。「それでいいんです」と飯田氏は語ります。

特別養護老人ホーム(以下、特養)で相談員をやっている頃、様々な高齢者の方やその家族と出会うこととなりました。
その中では、認知症の高齢者の方と一緒に不登校の孫や、障害を持つお子さんが同居していたりするケースがある。そういった複雑な事情をもつ家庭にワンストップで必要な支援ができればよいけれど、現実的には高齢者は高齢者、子どもは子ども、障害者は障害者…という感じで、分断されている。そこを何とか一元化して、情報を整理できないかなということもずっと考えています。

恋する豚研究所を作ったのも、「障害者が働く場所がない」という地域の声が多かったから。調べていくと、障害者の多くは月給1万円以下で働いていることがわかって、それはやっぱりまずいんじゃないか、「ちゃんとお給料を払えて、働ける場というのを作りましょう」と考えました

▽恋する豚研究所紹介動画

恋する豚研究所は、「就労継続支援A型作業所」とか、「障害者の作業所」とかという情報はどこにも書いていません。このレストランに食事をしに来てくれる人、ハムやソーセージを買ってくれる人の多くは、ここが障害者の作業所ということを知りません。それでいいんじゃないかな、と思ってます。

レストランで提供されているメニュー(恋する豚研究所Facebookより)

※イベント当日は、恋する豚研究所の豚肉を使用した料理も提供させて頂きました。

様々な世代がごちゃまぜで過ごす「多古新町ハウス」


(福祉楽団ホームページより)

多古新町ハウスは、デイサービスや訪問介護といった高齢者向けサービスから、放課後デイサービスなどの子ども向けサービス、更には無料の学習支援や高校生の下宿など、様々な世代が自然と集い、生活するごちゃまぜの空間。ある意味「何でもあり」な多古新町ハウスという場所も、なかなか既存の「福祉」という考え方では、説明しきれません。


(福祉楽団ホームページより)

多古町は、図書館もないしスタバもないしマックもないんですよ。そうすると、こどもたち学校終わって勉強する場所がないんです。なので、多古新町ハウスの中に「寺子屋」を作って、無料で学習支援もしています。その場所は鍵をかけるのも面倒だし、24時間開けっ放しにしちゃったんです。

そうしたら「夜中に若者が原付で集まってなんかやってるぞ。いいのか」って近所の人から電話かかってきてしまいました。
「やっぱり夜もずっと開けていると、問題が起きちゃうか…」と様子を見に行ったら、みんな勉強してたんです。勉強してるのに「やめろ!」とは言えないので、電話をくれた方にかけ直して、「すみません、勉強してました。」と伝えたら、「勉強してたのか。わかった。じゃあ、俺が寝る前に見に行ってくるから」って言ってくれて、その方は本当に寝る前に見回りに行ってくれるようになって。まさに地域包括ケアという感じでいいですよね。
デイサービスと寺子屋はお互いの様子が見えるように作られています。寺子屋の方にはトイレを作ってないので、寺子屋にいるこどもたちはデイサービスの中を普通に通ってトイレに行く。この関係性もとてもおもしろいですね。

あと、ショートステイの部屋を1つ潰して、高校生が下宿しています。
近くの高校にですね、野球部に有名な監督がきまして、その監督のもとで野球をしたいと。ここはデイサービスとかショートステイとか書いてなくて、多古新町ハウスとしか書いていなかったので、高校生が「ここに泊まれるんですか?」って問い合わせて来たんですよ。「泊まれるか?」と聞かれたら、「確かに泊まれるからな」と思って、ちゃんと基準を満たして許可を得て下宿にしちゃいました。

山を守る循環型の経済を。「薪プロジェクト」

(福祉楽団ホームページより)

日本の国土のうち7割が山で、約1割が農地なんですよね。日本国内で何かをしようと考えると、山とか農地を活用しない手はないと思います。千葉にも大きな山はないですが、森林や里山と言われるものは多いです。そして、山や森林が荒れてきていることが、この国の大きな課題となっています。

今、私たちが少しずつ進めているのが間伐です。一般的には山肌にある樹をすべて伐採し、植樹をする皆伐という方法が主流ですが、これだと大規模な伐採が必要になり山が荒れてしまう。我々がやろうとしている林業は、自伐型林業と言って、山に必要な樹を残して育てながら適切に間伐していく手法です。そこで出た木材を特養の給湯や、養豚場の暖房や野菜を育てるハウスのボイラーに使用することで、山を守りながら地産地消で燃料を供給できています。

仕事は地域の中にあるんです。

飯田氏はそのように語ります。「恋する豚研究所」も、「多古新町ハウス」も「薪プロジェクト」も、地域の人の耳に声を傾け、それをどのようにサービスとして形にし、経営として持続可能な仕組みをつくっていくかという視点で、様々なアクションが芽を出し、広がりはじめています。

くじ引きから始まった福祉の道

飯田氏の取組は、従来の福祉の枠にとらわれず、様々な分野を行き来し、それらの良さを組み合わせながら地域課題に取り組むものばかり。お話を伺っていると、既存の枠を飛び出して、地域全体を見つめるマクロな視点と、現場で一人ひとりの暮らしや想いに寄り添うミクロな視点の2つの視点を兼ね備えているように思います。

飯田氏の福祉・地域との接点はどのように始まったのでしょうか?
そのルーツを伺います。

元々、僕は農学部出身で、福祉の仕事をやるなんてことは、学生のころは全く考えていませんでした。母の実家が農家でして、養豚と農業をしていました。豚の餌やりや草刈とか収穫を手伝ったり、山の中に入って秘密基地とかつくったりとか…。そんな子供時代を過ごしていました。自然と農家や農業って面白そうだな、農業やりたいなと思うようになり、親の勧めもあって農業大学へ行きました。
そんな中、色々な事業をやっていた母が「これからは福祉の時代だ。社会福祉法人を立ち上げる」と言い始めました。僕は大学で東京にいたし、「まあ、勝手にやれば」とくらいに思っていたのですが、大学3年の頃に母が癌で急逝してしまったんです。

困ったのが、母が準備をしていた社会福祉法人の設立です。準備は進んでいるから、今更止めるわけにはいかず、「どうするんだ?」と親族会議で相談することになったけれども、みんな農家ですからね。福祉の現場のことなんか誰も分からない。そこで急遽割り箸でくじ引きをつくって、当たりを引いた私と従兄弟が携わることになりました。福祉とのかかわりは、そんな感じで始まりました。

思いがけずに携わることになった福祉の世界。
その中で飯田氏は、様々な課題を目の当たりにすることとなります。

福祉に携わることになったのなら、しっかり勉強しなければいけないぞと思い、大学の研究科に通い社会福祉士を取得しました。そのタイミングで、法人が特別養護老人ホーム(以下、特養)を立ち上げることになったのですが、当然特養の現場のこともよく分からない。そこで、徹底的に勉強しなきゃと、全国200ヶ所くらいの介護施設を見て回りました。
それまで僕は、全然福祉の現場に接したことなかったんですけど、実際に見学をしていく中で、大きなショックを受けました。裸のお年寄りが廊下にお風呂待ちで並ばされていたりとか、ロックされている出入り口やエレベーターとか。「これでいいのかな…?」と疑問をたくさん持つようになりました。

児童養護施設の中で虐待が日常的にあって、それが行政に通報されても全く解決されないまま、子供たちが苦しんでいる状況もあるという話も聞き、それもショックでした。

「あー福祉の世界ってこんななんだ」とショックを受けると同時に、「これってなんか結構おもしろいな」とも思っちゃったんですよね。
介護福祉士とか社会福祉士の養成課程で実習にいくと、課題に直面して、みんな福祉の現場やりたくなくなっちゃう、といった話もよく聞きますけど、自分が取り組むべき課題が明らかなんだから、逆に動きやすいと僕は思うんですよね。普通の民間企業って課題がわかんないことに悩んでいるわけだから、それに比べればはるかに可能性あるなって思っていました。

特養を立ち上げた頃は、看護師とよく戦っていました。まだユニットケアもない時代で、診断して投薬して、拘束もしたりしながら、いかに動けなくするかという考えの人も多かった。僕は、そういった環境を変えたいと思って、繰り返し話していくんだけど、「私は看護士だから」という感じで話がかみ合わないんです。「介護の人は何も知らないくせに」みたいな。で、そこにしっかりと自分の考えを通すために、自分も看護師の資格を取った方がよいんじゃないかと、働きながら大学の看護学部に通ったりもしました。

当時は大変でしたね。一番ショックだったのが、今でこそレビー小体型認知症という診断になるのでしょうけど、ガラスを割ったり暴れてしまう方がいて、どうケアをしていけばよいかすごく悩んで…。最終的には精神病院に転院させてしまい、その方をうちで見切ることができなかったことは、相当悔しかったです。時々、一人ホームのベランダに出て涙したり…、そんな感じの日々でした。その当時にいろいろ経験したことが、今の活動の動機にもなっているかなと思います。

“ケア”を見つめる2つの視点

初めて足を踏み入れた介護の現場は、飯田氏にとって取り組むべき課題の多い、ある意味可能性の大きい場所でした。その一方で、自身のやりたい介護と既存の枠組みのギャップに悩むこととなりました。そんな中、一つの出会いが飯田氏の介護・看護感をアップデートさせることとなります。

看護学部には、仕事をしながら6年くらい通いました。でも、働きながら実習に行くことが難しく、看護師資格をとることは難しい。大学院に行って研究を続けようと思ったのですが、「看護師資格もないのに」と一蹴されてしまいました。そんな時、広井良典先生という方が書いた「ケア学」という本に出会い、「これだよね、こういうことだよ!」って感動して、広井先生にお願いして大学院に入れてもらいました。

その一連の過程の中で、僕が学んできたのは、科学的看護学。看護や介護を科学的にいかに説明し、実践するか。今でこそ科学的なエビデンスをベースにした看護・介護も実践されてきていますが、今から15年くらい前ですから、生理学に基づいたケアの実践という考えがすごく新鮮でした。ただ、一方で科学的根拠だけでは説明はしきれないところがあります。僕が介護をするのと別の誰かが介護するのでは、同じようなことをしても、全く一緒にはならない。そういったことをどのように説明していけばいいのかな、それってすごくクリエイティブな仕事だなと思ってきて、そちらにも興味を持ちました。

科学的なエビデンスに基づいた再現性のあるアプローチ、言葉で説明することが難しいクリエィティブで再現性のないかかわり。一見相反するこの2つの要素を行き来しながら、飯田氏は看護・介護のあり方を探り続けています。「福祉」という言葉が持つ既存のイメージにとらわれず、様々なアクションを展開する飯田氏のアイディアの源泉は、この2つの視点それぞれを探求する姿勢にあるのかもしれません。

福祉は、10年後・20年後の風景をつくる仕事。

福祉の仕事って、僕は10年後20年後の地域の風景をつくっていく仕事だと思っています。

色々な活動をやっていて、うれしいのは、山や畑が綺麗になるとお年寄りが喜ぶこと。この地域のお年寄りは、家屋敷の周りが汚くなっていないかとか、お墓がきれいにされているかとか、山とか畑が荒れてないかとか、そういうことをずっと心配に思っています。なので、山とか畑とかが綺麗になると、とても安心されるんです。お年寄りが眠れないとき、睡眠薬を飲んでもらったりするけれど、場合によっては「お墓見に行って手入れしときましたから」という言葉の方が安心して眠れることもある訳です。やっぱり風景が整っていくと、心が休まるし、人も健康になっていくことってあるので、そういう仕事をしていきたいなと思っています。

社会とか人の営みってやはり複雑なので、それらを1つ1つ紐解いて、整理してあげる、整えてあげるのが地域の課題を解決するために重要なんじゃないかと思っています。
人の生活とは不可分な福祉という分野は、地域社会を再構築にしていくにあたって極めて中心的な役割を担っていくのではないかと、僕は思っています。

一方で、「福祉はこうあるべき」という概念を先に作ることには気を付けたい。概念を先に作ってしまうと、やっぱりそれにハマっちゃうんですよ。その枠を飛び越えないとイノベーションは起きません。やっぱり我々は現場に每日いるので、そこでいかに考えて、実践してやっていくかってことで、新しいものが生まれていくんじゃないかなって思ってます。

俯瞰して全体を見渡す視点と、実践者として一つひとつの課題に徹底して向き合う視点。
研究に裏打ちされた科学的アプローチと感性に訴えかけるクリエイティブなかかわり。
飯田氏の視点は、ともすれば相反する2つの要素を行き来します。
そのバランス感覚が、既存の概念にとらわれない、柔軟なアイディアと私たちを惹きつける魅力的なアクションを生み出しているように思えました。
少子高齢化・人口減少が進む日本社会が抱える課題は複雑で、一筋縄ではいかないものばかり。そんな複雑な課題を解決するためにも、既存の枠を飛び出し、様々なものに触れて、考え、悩み、感動する。そんな体験そのものを楽しむ軽やかな視点が必要なのでは。そんなことを学んだ一夜でした。


ゲストプロフィール

飯田 大輔 Daisuke Iida

社会福祉法人福祉楽団理事長 株式会社恋する豚研究所 代表取締役
1978年千葉県生まれ。東京農業大学農学部卒業。千葉大学大学院人文社会科学研究科博士前期課程修了。
2001年社会福祉法人福祉楽団設立、特別養護老人ホームの生活相談員や施設長、法人常務理事などを経て、現職。2012年株式会社恋する豚研究所設立。
ナイチンゲール看護研究所研究員、介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士。

※イベント開催時の情報となります。

開催概要

日時:2016年2月6 日(日)
会場: カカクコム 恵比寿グリーングラスオフィス

PRESENTについて

2025年に向け、私たちは何を学び、どんな力を身につけ、どんな姿で迎えたいか。そんな問いから生まれた”欲張りな学びの場”「PRESENT」。
「live in the present(今を生きる)」という私たちの意志のもと、私たちが私たちなりに日本の未来を考え、学びたいテーマをもとに素敵な講師をお招きし、一緒に考え対話し繋がるご褒美(プレゼント)のような学びの場です。

写真撮影


近藤 浩紀/Hiroki Kondo
HIROKI KONDO PHOTOGRAPHY

この記事を書いた人

野沢 悠介

野沢 悠介Yusuke Nozawa

株式会社Blanket取締役|ワークショップデザイナー

大手介護事業会社の採用担当者・人事部門責任者として、新卒採用を中心とした介護人材確保に従事。
2017年より、Join for Kaigoに加入、介護領域の人材採用・定着・育成をよりよくするために活動中。
趣味は音楽鑑賞。好きなアーティストを見に、ライブハウスに入り浸る日々。