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コラム

研修医から見た介護って?② -特養に入っていた大叔父の部屋は、“施設”じゃなかった-

「特養の一部屋」ではない、大叔父の “家” 。

車で山を登った先に、白と淡い緑色の建物が見えてくる。隔離された場所にある特徴のない無機質な壁は、小学生だった僕を拒んでいるかのように見えた。

10数年前、僕と父は、若くして脳梗塞になり、車椅子生活をおくる大叔父の元に数ヶ月に一回お見舞いに行っていた。大叔父は結婚しておらず、独身だったために自宅を引き払い、60過ぎから特別養護老人ホーム(特養)に入所していた。

昔からある特養だったから、今のように地域と馴染む老人ホームを作ろうとかそんなことは考えられておらず、山の上に隔離されていた。きっと、障害とか老人とか臭いものには蓋をしろ理論で山の上に作っていたのかもしれない。玄関を入ると受付をする。共用ゾーンの壁にはレクリエーションで作った折り紙やら何やらで展示されていた気がする。それがいびつに見えるほど、廊下も病院のような無機質な作りだった。長い廊下を抜けた一番奥が大叔父の部屋だった。

 

大叔父の部屋に入った瞬間、景色が変わった。どこかおばあちゃんの家に来たような、そんな感覚だった。それは、病院の個室くらいの狭い一人部屋にも関わらず、部屋が大叔父の色に染まっていたからである。ベッド上には新聞とペンが置いてあり、大叔父が興味のある記事に線が引かれている。壁沿いには大きな本棚があり、株やら投資やら大叔父が興味のある分野の本がびっしりと並んでいた。テレビも大叔父の好きな番組がかかっていた。見た目もにおいも、五感ぜんぶに訴えかけてきた。ここは特養の一部屋じゃない。大叔父の家だった。

小学生だった僕は本棚の本に興味を惹かれて、大叔父と父がどんな話をしていたか、いまいち覚えていない。

介護施設の中の「役割」と「居場所」、そして「空間デザイン」。

ご存知の通り、特養とは、介護を行う場所として大きく「施設」と「自宅等」に分けられるとすると、3つある施設のうちの1つだ。
病院にある介護療養病床(昨年から介護医療院に名前が変更)と介護老人保健施設(老健)、介護老人福祉施設(特養)の3つだ。

介護医療院は長期的に医療が必要な人の介護を行う場所、老健は自宅復帰のためのリハビリ施設であり、どちらも医師が常勤で勤務している。
一方の特養は終の住処とも言われており、要介護3以上の利用者が長期間介護を受け、場合によっては看取りまで行われる。医師は常勤で駐在しない。そのため、介護医療院や老健よりも医療機能が少なく、日常を支える介護の度合いが高くなる。そういう意味では、施設には該当しない「有料老人ホーム」や「サービス付き高齢者住宅」のような日常を支える場所に近いのかもしれない。

前回のコラムで書いたように、介護の専門性は、日常をみていることであり、点で関わる医療者と比較して、線で利用者と伴走することだと思う。
日常のふとした変化に気づいたり、利用者がやりたいことを叶えたり、日常を共にするからできることは多くある。

特に、あおいけあの加藤忠相さんや銀木犀の下河原忠道さんは、利用者に役割を付与して、自分のやりたいことをやってもらった上で、彼らの居場所たり得るような工夫を凝らす実践をされている。役割があれば、まだまだ利用者はただサービスを享受するだけでなく、自分のできる範囲で施設に社会に貢献しようとして輝くし、施設が自分の居場所だとわかってもらえば、家に帰ると言って徘徊することも減るだろう。「役割」と「居場所」はこれからの施設介護でかなり重要になってきている。

でも、その「役割」と「居場所」を作るために、外せないことがある。それは、空間デザインである。

僕が大叔父の部屋に入ったときに、「介護施設だ!」と思わずに大叔父の部屋だと思ったような個人のプライベートスペースがなければ、きっとその人はその施設をホテルとか非日常の空間に位置付けるかもしれないし、これまでの住み慣れた空間からの解離で落ち込んでしまう。自分の色づけされた場所がないと「居場所がない」と感じるのは、きっと僕らもそうだ。

かといって、地域と関わるための銀木犀でいう駄菓子屋さん(銀木犀では利用者さんが地域の人に駄菓子を売っている)のようなパブリックスペースがなければ、役割を持ってもらう空間がないことになる。つまり、プライベートスペースからパブリックスペースまで、グラデーションのように施設内に色づけしていく。そうすることで、「役割」と「居場所」を両方確保できる空間デザインができるんだと思う。

ちなみにグラデーションと言ったのには訳がある。プライベートスペースである個人の居室からいきなり地域と交わるパブリックスペースでは、少ししんどい。というのも、玄関が欲しいし、居間を通ってから、自分の部屋に来て欲しい。セミプライベートスペース、セミパブリックスペースと言ってみる。もしかしたら、玄関を個人の部屋の入り口に作るだけで、どこか軒先での世間話が利用者同士で生まれるかもしれない。もしかしたら、レクリエーションスペースのような居間を作れば、誰かが料理を初めてくれるかもしれない。

そんな住み慣れた家のようなプライベートからパブリックまでのグラデーションを、介護施設にも作って欲しい。僕はそんな家に住みたいし、そんな介護施設に入りたい。

プライベートスペース、セミプライベートスペース、セミパブリックスペース、パブリックスペース。きっとそのグラデーションがあることが、プライバシーとコミュニティという関係性の微妙なバランスを取っているのだと思う。
それは病院という非日常を日常に戻す特殊な場所ではなく、介護は日常の守護者だから。 日常を過ごす利用者の絶妙なバランスを守らなければならないのだと思う。介護施設の「空間デザイン」は、病院のそれより何倍も重要かもしれない。

この記事を書いた人

守本 陽一

守本 陽一Yoichi Morimoto

公立豊岡病院初期研修医だいかい文庫 と YATAI CAFE

学生時代から「モバイル屋台de健康カフェ」や地域診断といった「医療×まちづくり」の活動を兵庫県但馬地域で行う。
現在は、(一社)ケアと暮らしの編集社代表理事 / YATAICAFE だいかい文庫。共著に「社会的処方」「ケアとまちづくり、ときどきアート」。

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